《 禅語100選 》
第 1 章
【 致道無難 唯嫌揀擇 】
至道は難しきこと無し!
唯だ揀擇を嫌う!
~「選り好み」をしなければ人生は難しくない~
日本では、
一般に「どんな道であってもその道を究めるのは難しい」と
言われています。
ところが、
中国の南北朝時代に活躍した禅宗の第三祖・僧璨は、
『信心銘』の冒頭でこのような2句を示しています。
“至道”とは・・・
究極の大道、悟りの内容そのもののことである。
つまり前句は、
「一般に手の届かない遠いもの」と
思われる〈悟り〉を得ることとは難しい、
という意味になります。
でも、
なぜ?至道が無難なのでしょうか?
禅では・・・
この世のありのままが既に至道と説き、
それに気づくことが、〈悟り〉であり、
すべての道の根源であると教えています。
しかし、
私たちは、なかなかそのことに気づきません。
その理由は後句にあるように、
揀擇しているからだ。
揀擇とは・・・
物事をいつも分別心によって区別し対立させることである。
分かるために分けるのですが、
分けると全体を見失ってしまうのである。
私たちは、
この揀擇によって、
すぐに自分と他を比較し、相対的な価値判断をしてしまう。
それが、不満ゆ慢心を心を抱かせて、
様々な執着を生み、
その「執着心」が、
至道を見えなくしてしまうという訳だ。
順調な時も迷える時も、
揀擇を捨て、その境遇を
「自分の歩むべき道」とありのまま受け入れる。
道はそこに開けるのである。
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★ 龍虎 俊輔 ★
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