京都通になれる雑学知識100 〔Kyoto 56〕 | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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≪ 京都通になれる雑学知識

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎
- KYOTO 56 -
【 西 芳 寺
上段・下段2つの庭がある
「苔寺」

集合の美学、とも言える苔の密集すめ様は、
日本人の心を打つものがあります。
それは俗気がなく、枯淡の境地へ誘うからで、
若者も年配者も一目で感じとれる
「心の癒し」なのである。


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洪水がもたらした?
苔寺の庭一面の苔!

京都市内西京区にある洪隠西芳寺は、
苔の美しさ寺であることから「苔寺」とも通称される。
臨済宗天竜寺派に属しています。
731(天平3)年、
聖徳太子の別荘地跡に
僧・行基が開祖となって創建した。
その後、衰退したが、
1339(暦応2)年、
夢窓疎石が中興したと伝えられています。
夢窓疎石と言えば、
庭造りの名手であるが、
西芳寺の庭園も手掛けています。

ここの庭園に一歩踏み込めば、
第一印象は苔の鮮やかさである。
地面に隙間なくビッシリと張り付いています。
寺の説明では、
苔は自然発生的に生えてきたものだという。
夢窓疎石が作庭した頃は、
苔は見られなかったが、
苔が発生したのは、実は洪水が原因ではないかという。
境内のすぐそばに西芳寺川が流れ、
この川に水が溢れると、
境内地がちょうど谷間のような地形にあるために、
度々、洪水の被害に遭っています。

記録では、
1485(文明17)年に洪水により被災し、
江戸時代の寛永年間、元禄年間にも同じく被災している。
この江戸時代の洪水で庭園を湿らせ、
苔を育てたのではないか?
と言われています。
その証左に、
苔は江戸時代末期の頃から庭を覆うようになったようだ。

苔は手で軽く押さえてみると分かりますが、
ちょうどスポンジが水を含んだように
ジュクジュクとしています。
一口に「苔」と言っても多種があるらしく、
西芳寺庭園の苔は、
少なくとも100~114もの種類だという。


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上段の枯山水、
下段の池泉回遊式庭園の
味わい


庭園は
瓦葺の向上関という小さな門とそれに続く石段によって
上下2段に分かれています。
下段の庭は、
心字池を模った黄金池を中心とした
池泉回遊式庭園。
緑艶やか苔が庭一面に見られる。
池の周り、木の根元に緑の集団を形成している。
梅雨の湿った季節に苔は緑の濃淡を輝かせる。

庭園内には、
慶長年間に、千利休の次男・千少庵が再建した
茶室「湘南亭」があります。
西芳寺では最も古い建物と言われています。
幕末には、
倒幕に動いた岩倉具視が
ここに潜伏したことがあるという。
上段の庭は、
洪隠山の山腹にある枯山水庭園。
龍安寺石庭のように波打つ白砂などはなく、
荒々しく見える石組が特徴で、
枯山水の原型とも言われています。
石にも苔は張り付き、
生命旺盛な勢いを見せてくれます。
上下段の庭は、
幽邃の境地に誘う如く、静謐であり、
庭は懐の深さを覗かせています。


☆ 西 芳 寺 ☆
西芳寺
とは・・・
京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院である。
一般には苔寺の通称で知られる。
山号を洪隠山と称する。本尊は阿弥陀如来、
開山は行基と伝え、中興開山は夢窓疎石である。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
- 庭 園 -
特別名勝及び史跡。
夢窓疎石の作庭で、
上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の2つから成っていた。
境内北方には上段の枯山水庭園の石組みが残り、
この部分には夢窓疎石当時の面影が残っていると思われる。
 今日、西芳寺庭園としてよく知られるのは苔の庭で、
木立の中にある黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園である。
- 交通アクセス -
京都駅前から市バス73系統に乗車し、49分
『苔寺・すず虫寺』停下車、徒歩3分
- 拝 観 料 -
¥3,000
- 拝観について -
拝観予約制。
往復ハガキに希望日・人数・代表者の氏名と住所を明記し、
2ヶ月から1週間前までに西芳寺参拝係へ申し込む。
拝観時間は、指定されます。



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 龍虎 俊輔 
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