京都通になれる雑学知識100 [Kyoto 50] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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≪ 京都通になれる雑学知識

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎
- Kyoto 50 -
【 等 持 院
「霊光院」に並ぶ
足利将軍の数え方の謎?

京都で足利将軍家ゆかりの寺では、
鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣以上に、
等持院を拝観すべき寺である。
霊光殿に居並ぶ足利将軍は、
室町時代の威光を21世紀の今に放ち続けている。


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足利将軍・義昭は、
「15代」なのか?「16代」なのか?

等持院霊光殿・・・・
ここに歴代の足利将軍の木像が、
安置されています。
入口から向かって左側の列は、
奥から順に、
尊氏・義詮・義満・義持・義教・義勝・義政の木像が
並んでいます。
しかし
第5代将軍である義量の木像が無いんです!
一方、右側の列は、
奥から順に、
義尚・義稙・義澄・義晴・義輝・義昭の木像が並んでいます。
そして、なぜか?
義栄の木像がなく、
徳川家康の木像があるんです!

つまり、
左側の列は、初代から8代までの木像。
右側の列は、9代から第15代までの木像。

「あれ?」
「木像の数が足んなくないか!」
と思われた人がいるんじゃないかな。

そうなんです!
13体の木像しか無いんですよ!

学校において
足利将軍は、
初代・尊氏、2代・義詮、3代・義満、4代・義持、5代・義量
6代・義教、7代・義勝、8代・義政、9代・義尚、10代・義稙
11代・義澄、12代・義晴、13代・義輝、14代・義栄、15代・義昭
と覚えたと思います。

ただ、
「等持院小史」という歴史書に基づく説明では、
義尚に続く義稙が、
10代、11代と2度将軍職に就いているという。
だが、
合点がいかない問題が・・・
等持院小冊子に記載されている
「京都大学編日本史辞典」による数え方では、
9代・義尚に続く義稙は、
10代と12代の2回将軍職にあり、
義澄は11代にカウントされているんです。

そうなると・・・
9代から12代まで、この数え方でいくと
13代・義晴、14代・義輝、15代・義栄、16代・義昭
ということになる。

これでも可笑しいですよね?
足利将軍家は15代が最後ですから!

歴史書「等持院小史」によると
義栄という人物は、空欄になっており、
将軍としては認められていない!
ということは・・・
霊光院に木像がない義量も
将軍として認められていないんです。

なぜ?
認められていないのか!


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木像が無い義量と義栄は、
将軍として認められず?


先ずは、義栄について触れます。
義栄は、阿波国に生まれ、
歴代将軍を継ぎ、将軍の推されたのでしょう!
義栄は、脊中の腫れものが悪化して
享年29(又は31)の若さで
将軍として京都に一度も足を踏み入れずに
亡くなっているんです。
入洛していない将軍は、
天皇にも謁見していないのだから、
将軍として認められないという不文律があるそうだ!

このことから、
15代義昭説と16代義昭説に分かれてようです。

そして、
5代将軍・義量の木像について、触れます。

確かに霊光院には木像が無いんです。
しかし
義量の木像は、存在します!

「どこにあるんですか?」

この人物の木像がある場所は・・・

なんと!
栃木県足利市にある鑁阿寺である。

なぜ?
義量の木像は、
京都には無く、足利にあるのかは
不明です。


☆等持院とは・・・☆
等持院
とは・・・
京都府京都市北区にある臨済宗天龍寺派の寺院。
山号は萬年山。
足利氏の菩提寺であり、足利尊氏の墓所としても知られる寺で、
立命館大学のキャンパスに接して建つ禅刹である。
足利尊氏が夢窓国師を招いて開いた北等持寺が前身で、
尊氏没後にその墓所となり、
後に足利将軍家の菩提寺となった。
夢窓国師作の芙蓉池庭園を彩るサツキと紅葉が美しい寺である。
- 交通アクセス -
京都駅前から市バス26系統に乗車し、37分。
『等持院南町』停下車、徒歩10分。
- 拝 観 料 -
¥500
- 拝観時間帯 -
8時00分~16時30分迄



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 龍虎 俊輔 
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