京都通になれる雑学知識100 [KYoto 48] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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 京都通になれる雑学知識

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎
- Kyoto 48 -
【 広 隆 寺
2体の弥勒菩薩像

国宝に指定されている2体の弥勒菩薩像。
微笑の中の思考する宝冠弥勒。
愁いを秘めた中に思考する泣き弥勒。
この2体の弥勒菩薩には、
人生の範とすべき思慮深い姿が
見えてきます。


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ダイエット弥勒といわれる
スリムで優美な宝冠弥勒菩薩

太秦・広隆寺が創建されたのは、
603(推古天皇11)年と言われ、
京都では珍しい
平安時代以前に建立された古刹である。
聖徳太子に縁があり、
渡来人の秦河勝という人物が、
太子より仏像を賜り、
本尊として祀った寺が始まりである。

この寺は峰岡寺と言われ、
現在の広隆寺の前身と伝わっています。

峰岡寺の本尊に祀られていたのが、
弥勒菩薩でという。

広隆寺には・・・
有名な2体の弥勒菩薩があります。
1体は宝冠弥勒と通称される弥勒菩薩半跏思惟像。

この弥勒菩薩こそ聖徳太子が
河勝に与えた仏像と言われ、
峰岡寺に本尊として祀られていた仏像である。
この仏像は飛鳥時代の作と伝わっていますが、
どこで作られたのかは定かではありません。
用材にはアカマツが使われていて、
一部に樟が使われているという分析が
なされています。

優美かつ謎めいた微笑を浮かべ、
右手の指を頬に添えるように当て、
右脚を折り曲げて左脚のふとももに載せたポーズは、
柔軟さが伝わってくる仏像である。

像高123.3cm、
首筋から胸板、腹部にかけて贅肉がなく、
全体に流れるように美しく、スッキリしています。
尊顔の微笑を見つめていると、
今にも声をかけてきそうなリアル感があり、
見つめる程に謎を秘めて美しさを漂わせています。
この弥勒菩薩は、
1951(昭和26)年6月、
名誉ある国宝第一号に指定されています。


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憂い顔の目線の先に
何を見つめる泣き弥勒菩薩

広隆寺には・・・
宝冠弥勒菩薩とは別に、
もう1体の弥勒菩薩半跏思惟像があります。
通称、泣き弥勒と
言われている仏像である。

この泣き弥勒も
峰岡寺当時の本尊の可能性があるそうです。
しかし、
明確なことが分かっていません。
飛鳥・白鳳時代の作と言われ、
像高は90.5cmで、樟の一木造である。
顔の表情は、
わずかに愁いを秘めているような、
「なにか良い知恵はないか・・・」
と考えているように見えます。
右手の指を頬に当てているが、
宝冠菩薩よりは指の形がリズミカルではない。
宝冠弥勒のように
右脚を折り曲げて左脚のふとももに載せています。
落ち着いた雰囲気があり、
胸のあたりは肉厚感があります。

この菩薩が、
かつて全身金箔で覆われていたことを窺わせるように、
剥げ落ちてはいるものの名残の金箔が
住時を思い起こさせます。
さぞや鮮やかであったのでしょうねぇ~。
木彫りではありますが、
衣の一部に獣の皮を用いられるなど、
衣の柔軟さを見せる工夫が見ることが出来ます。

この弥勒菩薩は、
1952(昭和27)年11月、
第50番目の国宝に指定されています。


☆広隆寺とは・・・☆
広隆寺
とは・・・
京都市右京区太秦にある寺である。
宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。
蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などの別称があり、
地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。
帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、
平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。
国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、
聖徳太子信仰の寺でもある。


☆弥勒菩薩とは・・・☆
弥勒菩薩 とは・・・
仏教の菩薩の一尊である。
釈迦の入滅後、
56億7000万年後に下生するとされる仏である。




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 龍虎 俊輔 
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