京都通になれる雑学知識100 [Kyoto 40] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

国内旅行、寺社仏閣、京都に関してを題材にして、
言いたい放題。+「☆本日はこんな日だ!☆」
「百鬼乙女関連記事」
一読したら、Facebookの「いいね」を押してね。
Twitterをやってる方は、ツイートしてね。

《 京都通になれる雑学

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎
- Kyoto 40 -
【 禅 林 寺
永観堂「みかえり阿弥陀」が
語りかける言葉とは・・・

「みかえり阿弥陀」は、
自然体で振り返られています。
間近で見ると、
その鼓動か聞こえてくるようだ!
何よりも時間を忘れて、
心の会話が出来るのが楽しみである。


■□■□■□■□■□■□■□■□■
自らも行道せんと
須弥壇から下りてきた
阿弥陀仏

南禅寺から北へ上ルミニ散歩のオススメが、
永観堂である。

正式名称は、
「聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺」。

「禅林寺」と言えば、良いのだが、
なぜか?
「永観堂」という通称で
呼ばれることが多いお寺である。

では!
なぜ?
永観堂と呼ばれるのか?

この寺の第7世住持・永観律師の存在がある。
律師は「念仏宗永観」と言われ、
1日六万遍の念仏行に打ち込んだ僧で、
東大寺別当を務めた高僧である。
また律師は
窮乏の人達を救うために、
永観堂境内に「薬王院」という施療院を建立し、
薬食として、
梅の果実を施したことでも知られています。

この永観律師に不思議な事が起きた!

1082(永保2)年2月15日の早朝、
冬寒に冷えた東大寺の御堂で行道していた時、
須弥壇に安置していた阿弥陀像が下りてきたのである。
そして、
自ら律師を先導するように行道を始めたという。
これに驚いた律師が立ちすくんでいると、
阿弥陀像は律師に対し、
左を振り返りながら、
「永観、おそし」と告げたのである。


■□■□■□■□■□■□■□■□■
「みかえり阿弥陀」の
温厚な尊顔は
思いやりと癒し!


阿弥陀堂に安置されている阿弥陀如来立像は、
確かに左を向いています。
顔が左に向いていることから
「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。

横向きの阿弥陀仏は、本当に珍しい!
身丈は77cm、桧材の木像で、
端正かつ穏やかな小顔が印象に残る仏像だ!

この仏様のお顔を見つめていると、
何か語りかけてくれそうな“空気感 ”があります。

現代に問うならば? という文面には・・・

・ 愛や情けをかける姿勢
・ 思いやり深く周囲を見つける姿勢
・ 遅れた者たちを待つ姿勢


などと書いてある札が、永観堂内にあります。

永観律師は、
「この阿弥陀像の衆生を救うことこそ本願」
という声を聞かれ、
東大寺別当を辞職する時、
この仏像を東大寺から背負って京都へ!
その時、
東大寺の僧たちが取り戻そうと追いかけて来たのだが、
阿弥陀像は、
永観の脊中から離れなかったという
逸話が残っています。


☆禅林寺(永観堂)とは・・・☆
禅林寺
とは・・・
京都市左京区永観堂町にある
浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。
一般には通称の永観堂の名で知られる。
山号を聖衆来迎山、院号を無量寿院と称する。
本尊は阿弥陀如来、
開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。
当寺は紅葉の名所として知られ、
古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。
また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の1つでもあり、
古くから学問(論義)が盛んである。

Wikipediaより-

横を向いた仏像に会える紅葉寺
平安時代初期に創建され、後に永観律師が念仏道場としたところ。
浄土宗西山禅林寺派の本山で、正式には禅林寺という。
東山の斜面に立ち並ぶ方丈・御影堂・阿弥陀堂を
回廊伝いに拝観が、出来ます。
京都でも指折りの紅葉の名所で、
「モミジの永観堂」と呼び親しまれています。
11月には夜の特別拝観や寺宝の特別公開も
実施されています。

【交通アクセス】
京都駅前から
市バス5系統又は、57系統に乗車し、30分。
『南禅寺・永観堂道』停で下車、徒歩5分。
【拝 観 料】
¥600
(11月の寺宝展開催中は¥1,000)
【拝観時間】
〈通   常〉 9時00分~16時00分
〈11月のみ〉 8時30分~16時00分
【拝観所要時間】
約30分


※※※※※※※※※※※
★ 龍虎 俊輔 
※※※※※※※※※※※