京都通になれる雑学知識100 [Kyoto 37] | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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《 京都通になれる雑学

第 2 章
古都・京都にある寺社の謎
- Kyoto 37 -
【 護 王 神 社
よく見て下さい!
護王神社を守る狛イノシシ

平安京の造営の功労者・和気清麻呂を祀る
護王神社!
神社には、猪のコレクションがあり、
猪とは切っても切れない深い御縁がありそうだ!


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見た瞬間思わず
微笑んでしまう雄雌の
狛イノシシ像

近年、
この護王神社に立ち寄る参拝者が
増加しているんです!
その理由は・・・
境内が面白い!
ユニークなものがある!
ということらしい。

では!
護王神社について書きます!
先ずは場所ですね。

京都御所の蛤御門から南に下った
烏丸通に面して鎮座しています。

ユニークなものとは何か?
狛犬ではありません!
実は・・・
イノシシなんです!
拝殿の前に、
雄雌一対の狛イノシシが
どこかユーモラスに迎えてくれます。
愛嬌があるんですよ!

なんで?
狛犬じゃなくてイノシシなのか?
これには理由が・・・
この神社の主祭神・和気清麻呂公命に由来しているという。

和気清麻呂は、
天平5年に現在の岡山県和気町に誕生し、
平安京の造営に際し、桓武天皇の信任厚く、
山背国の地形調査を行った人物である。
また、
三条坊門南にあった日本初の私立学校である
「弘文院」を創設したことでも知られている人物だ!

では!
和気清麻呂とイノシシとの関係とは何か?



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和気清麻呂を宇佐八幡宮へ
導いたイノシシ伝説


奈良時代末期の769年、
清麻呂が37歳の時、「道鏡事件」が起きた!

道鏡事件とは・・・
世に怪僧と呼ばれていた弓削道鏡が、
女帝・孝謙天皇から深い信任を得て、
太政大臣に就任し、
遂には天皇の地位に就こうと策略したものである。
道鏡が九州の宇佐八幡宮に自らを皇位につけるよう
御神託の奏上をさせたのである。
この事に驚いた女帝・孝謙天皇は、
真偽を確かめる勅使として
和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣した。

清麻呂は真偽を探り、
宇佐から戻ると、信託の嘘を報告し、
道鏡の野望を打ち砕いたのである。
凄まじく怒り心頭だった道鏡に、
清麻呂は足の腱を斬られ、大隅国へ配流されてしまった。

清麻呂がその途中、
皇統守護の御礼に宇佐八幡宮へ向かうが、
何所からともなく300頭のイノシシが現れ、
足が不自由だった清麻呂を守り、無事に八幡宮まで
案内したという。

この清麻呂を救ったイノシシの伝承がもとで、
護王神社の境内に
狛イノシシが祀られたのである。


護王神社とは・・・☆
護王神社
とは・・・
京都市上京区にある神社である。
旧社格は別格官幣社。
別称:「子育明神」。
和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、
藤原百川と路豊永を配祀させています。

道鏡事件とは・・・☆
宇佐八幡宮神託事件
とは・・・
奈良時代の769(神護景雲3)年、
宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇)に対して
「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、
弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、
紛糾が起こった事件。
道鏡事件とも呼ばれる。
同年10月1日(11月7日)に称徳天皇が詔を発し、
道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、
事件の決着がついた。


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