京都通になれる雑学知識! | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

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《 京都通になれる雑学

第 1 章
古都・京都の歴史を知る町歩き

- Kyoto 16 -
元祖コスプレ!?
出雲阿国の男装パフォーマンス


出雲阿国は1603年春、
北野天満宮を舞台に、
「かぶき踊り」の興行を行ったと伝えられている
人物である。
この男装での踊りは見物客に大受けし、
阿国の名前が広まる契機となった。


出雲阿国の熱演に観衆も
熱気沸騰!


四条大橋東詰に踊り姿の阿国像があります。
そこには
「阿国歌舞伎発祥地」と
刻まれています。
阿国は、島根県松江出身と言われています。
1572(元亀3)年に誕生したと伝えられいるが、
明確な生年は定かではない。
出雲大社の巫女だったという説があり、
出雲大社の勧進のために京都にやって来たという。

1603(慶長8)年、
徳川家康が江戸幕府を開いた年に、
阿国は北野天満宮境内で、
男装して踊りを披露した。
この時の踊りは、
一説に茶屋遊びに通う伊達者を演じたと
伝わっている。
この踊りが見物客の拍手喝采を浴びたようだ。
当時、
伊達者は軽佻浮薄な人物されており、
“ かぶき者 ”
などと称されたことから、
阿国の踊りは、
「かぶき踊り」と名付けられたようである。

阿国の踊りの評判は、
この後も高まる一方となり、
遂には偽阿国が登場するほどだった。
1608(慶長13)年、
阿国は四条河原で
初めての「女歌舞伎」の興行を行っています。
阿国はここで自ら演じたとされるが、
実際は阿国は踊らず、
阿国の一座たちが踊ったとも伝えられています。


女歌舞伎はやがて禁止され、
男歌舞伎へ


阿国はその後、京都から伊勢、
さらには江戸へと興行を重ね、人気を博したという。
1607(慶長12)年、
江戸で勧進歌舞伎を行っています。
しかし
阿国が始めた女歌舞伎は、
幕府から「風紀を乱す」という理由で
禁止のお触れが出されたのだ。

これが契機となり、
女歌舞伎に代わり
男性の役者が女形を演じるようになり、
今につながる歌舞伎の礎となったのである。
現在、
出雲阿国は、
「歌舞伎の祖」とされています。
1613(慶長13)年頃に亡くなったというが、
これは定かではない。

「出雲阿国の墓」は、
大徳寺塔頭高桐院にあります。
高桐院は細川忠興(細川ガラシャの夫)が、
父・細川幽斎の菩提を弔うために建立した
細川家の菩提寺である。
紅葉とその木下闇に
美しい翠苔を張り詰めた庭があります。
この庭には拝観が可能だが、
阿国の墓へのお参りは残念ながら出来ません。

阿国像の近くには、
歌舞伎の殿堂「南座」があり、
年末の吉例顔見世興行で知られています。
江戸時代の元和年間(1615~1624)、
四条河原東側に7つの芝居小屋が出来たが、
現在残っているのは、
この「南座」だけである。
阿国以来の歌舞伎の歴史を伝えられています。


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 龍虎 俊輔 
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