《 京都 古寺を巡る 》
- 寺社巡りが楽しくなる京都ガイド -
本テーマ 25
〈 旧嵯峨御所 大覚寺門跡 〉
大覚寺は、
京都市右京区嵯峨にある、
真言宗大覚寺派大本山の寺院。
山号を嵯峨山と称する。
本尊は不動明王を中心とする五大明王、
開基は嵯峨天皇である。
嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。
また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、
日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。
また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を
今に伝える寺でもある。
時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、
寺の境内(大沢池や明智門など)は
(特に時代劇の)映画やテレビなどの撮影によく使われている。
また代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、
現在でも御所風の雰囲気がただよっている。
御所跡地が国の史跡に指定されている。
大沢池に臨む
典雅な雰囲気の寺院
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離宮・嵯峨院の雅が香る
般若心経写経の根本道場
漢詩に造詣が深く、
書の名手でもあった嵯峨天皇の離宮、
嵯峨院を876(貞観18)年に
皇女・正子内親王が寺へ改めたのが起源。
鎌倉時代後期には
後嵯峨、亀山、後宇多の3上皇が
ここで院政を行ったため、
嵯峨御所とも呼ばれた。
亀山天皇以降の皇統は大覚寺統と呼ばれ、
後深草天皇の持明院統と交互に皇位についたが、
大覚寺統の後醍醐天皇の新政が崩れ、
さらに幕府が持明院統の光明天皇を擁立したことから
南北朝の争いの発展した。
その後、
大覚寺において講和が成立し、
南朝最後の天皇・後亀山天皇が隠棲。
以後も明治時代まで法親王など皇統の人物が
代々その住持を務めた。
その間、
応仁の乱で伽藍は焼失したが、
江戸時代初期に再建され、
現在の雅な空間が整った。
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華やか襖絵や優雅な回廊
四季の花と月を楽しむ
大覚寺の境内は、
宸殿をはじめとした御所風の伽藍と、
周囲が約1.2kmある大沢池で
構成されている。
牡丹図をはじめとした襖絵が見事な宸殿や、
正寝殿、御影堂、霊明殿、五大堂、霊宝館は、
「村雨の廊下」と呼ばれる鶯張りの廊下で
結ばれている。
大沢池は日本最古の人工の池と言われ、
桜や蓮、紅葉など季節の花が彩る池辺を
自由に散策することができる。
中秋の名月には
池に舟を浮かべる観月の夕べが催される。
また、嵯峨天皇が弘法大師(空海)のすすめで
般若心経の写経をし、
天下泰平を祈ったことに由来し、
般若心経写経の根本道場としても知られる。
歴代天皇が行ったように、
今も真摯な思いで写経に取り組む人が絶えない。
―《 柱と床で稲妻と雨を表現した 》―
☆ 村雨の廊下 ☆
縦に走る柱を雨に、
直角に折れ曲がった床を稲妻に見立てた廊下
刀や槍などの武器を振り上げられないように
低い作られた天井の造りから、
防衛にも配慮されていたことが分かる。
―《 116面もの傑作が揃う 》―
☆ 宸殿の襖絵 ☆
~ 重要文化財 ~
江戸時代に後水尾天皇が
下賜した宸殿内部には、
狩野派の障壁画が並んでいる。
鶯張りの宸殿の回廊を巡りながら、
各間にある柳松図、牡丹図、紅白梅図を
鑑賞しよう。
―《 寺にかかわった人を祀る 》―
☆ 御 影 堂 ☆
大正天皇の即位式に使用された饗宴殿を、
式後に下賜された入母屋造の建物。
内陣左右には
嵯峨天皇、弘法大師、後宇多天皇ら
寺の歴史と関係の深い人々の尊像が
安置されている。
―《 嵯峨天皇が舟遊びをした 》―
☆ 大 沢 池 ☆
~ 名 勝 ~
境内の東に広がる広大な人工池で、
中国の洞庭湖を模して作られたことから
「庭湖」とも呼ばれる。
周囲には梅林や竹林、紅葉の散策道がある。
百人一首に詠まれた名古曽滝跡にも注目!
―《 格式高い 》―
☆ 勅 使 門 ☆ と ☆ 石 舞 台 ☆
6平方mの石舞台では雅楽や舞楽が行われ、
現在もライブイベントなどが開催されている。
御影堂の正面に立つ勅使門は、
大きな菊の紋や軒下の北斗七星が
印象的な四脚門。
―《 写経ができる 》―
☆ 五 大 堂 ☆
大沢池の西側に位置する五大堂は、
重要文化財の五大明王像を安置する寺の本堂。
堂内では予約なしで
気軽に写経・写仏ができ、
所願成就を願って取り組む人が多い。
- DATA -
《 住 所 》
京都市右京区嵯峨大沢町4
《 交通アクセス 》
市バス28系統、91系統
「大覚寺」下車徒歩2分
《 拝観時間 》
9時00分~17時00分
(受付終了時刻は16時30分)
《 拝観料 》
¥500
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★ 龍虎 俊輔 ★
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