[- 悠久の不思議な歴史を巡る旅 -]
≪ 豊國神社・方広寺 ≫
通称「ホウコクさん」の名で
親しまれている
豊國神社と
天台宗山門派妙法院の末寺である
方広寺の旅は、
本日が、7日目!
7日目の旅は、
方広寺と豊國神社周辺の
歴史探訪の旅と
なります。
それでは!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!
不思議7
〔 烏 寺 〕
昨日の歴史探訪をしました
耳塚の斜め向かいにある寺院が、
烏寺となります。
浄土宗禅林寺派の禅寺で
正しくは
熊谷山専定寺
と言います。
烏寺という名は、俗称となります。
寛文六(1666)年
浄西の開創の寺院です。
寺伝によりますと
その昔、
専定という僧が、
松の木陰で休んでいると、
二羽の烏がその松にとまり
「今日は熊谷蓮生坊が、極楽往生する」
と話しているのが聞こえた。
専定が蓮生坊を訪ねたところ、
まさに
烏が話をしていた
同日同時刻に亡くなっていた。
そこで、
専定が、
このありがたい地に庵を営んだのが、
この烏寺の始まりと
言われています。
一説に
その烏は、
熊野権現だったとも
言われています。
この烏寺ですが・・・
残念ながら
普段は
一般非公開。
蓮生坊とは・・・誰か?
熊谷直実公のことです。
烏が話していた同日とは・・・
承久2年(1208年)9月14日のこと。
話に出てくる松は、現在もあるのか?
現在は、残念ながら、
烏が止まっていたとされる松は
現存していません。
しかし
住職の奥様のお話では、
門のすぐ後ろにあるヤツデの横に
松の老木が植わっていたそうなんですが、
昭和25(1950)年の
ジェーン台風で倒れてしまったそうです。
不思議な伝説を持つ
古刹の歴史探訪の旅でした。
本日の歴史探訪の旅は
ココまで!
明日以降の
歴史探訪の旅を
乞うご期待!!
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★ 龍虎 俊輔 ★
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