悠久の不思議な歴史を巡る旅!【金戒光明寺編】 | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

国内旅行、寺社仏閣、京都に関してを題材にして、
言いたい放題。+「☆本日はこんな日だ!☆」
「百鬼乙女関連記事」
一読したら、Facebookの「いいね」を押してね。
Twitterをやってる方は、ツイートしてね。

[- 悠久の不思議な歴史を巡る旅 -]
≪金戒光明寺≫

地元から「黒谷さん」の愛称で
親しまれている
金戒光明寺を巡る旅は、
本日は、日目

それでは!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!

不思議4
 〔 熊谷直実・平敦盛の供養塔 〕
この二体の供養塔は、
法然上人の御廟(勢至堂)前に
向かい合わせに建てられています。
同じ大きさの五輪塔で、
高さは、
を優に超えています。

『京童』には・・・
この所にくまがへの次郎なをざね
又あつもり石塔ある也

と記されているのを初め、
江戸期の地誌の多くは
両塔の所在に触れています。

『山州名跡志』には・・・
敦盛熊谷塔、勢至堂の前に在り。
五輪(塔)。
敦盛法名空顔憐清。
この号法然上人の作なり

と由緒を語っています。

熊谷直実と平敦盛の関係は、
『平家物語』「敦盛最後」の章段における
平敦盛との一騎打ちは、
武士の性や世の無常観を表現する題材として
後世武士の間で好まれ、
能の演目『敦盛』、幸若舞の『敦盛』を
はじめ様々な作品に美談として
取り上げられいます。

この美談は、
平成の現代の世にも
受け繋いでいかなければならないと
思いました。


織田信長が出陣前に好んで
舞いながら歌った歌

『人間五十年、
下天のうちをくらぶれば、
夢幻の如くなり。
一度生を享け滅せぬものの
あるべきか』

この歌が、
幸若舞の『敦盛』の一節だということを
初めて知りました。



本日の旅は、ココまで!
次回の旅では、
不思議な石のお話となります。

乞うご期待!!


※※※※※※※※※※
 龍虎 俊輔 
※※※※※※※※※※