[-悠久の不思議な歴史を巡る旅-]
【大徳寺編】
6泊7日の大徳寺の旅は、
本日で2日目となります!
では!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!
不思議② 〔 金 毛 閣 〕
金毛閣は、
平康頼の塔の右手すぐにある
三門のこと。
(勅使門の北側)
大永6(1526)年、
初層のみが建立され、
天正17(1589)年、
千利休が上層を完成したという。
五間三戸、重層、入母屋造、唐様建築の
本瓦葺の二重門で、
左右に山廊が付いています。
上層に、
釈迦三尊・十六羅漢像と共に
千利休像があるが、
利休はこの像によって、秀吉に嫌われ、
自決を命じられたという。
天井の龍の絵は、
長谷川等伯の作だそうです。
『雍州府志』には・・・
「三門は連歌師宗長建てつる所にして、
然る後に千利休、閣をその上に設け、
己が像を置く。
これにより、秀吉公、僣踰を怒り、
その像を下して一条反橋に肆す」
と記されています。
『京羽二重織留』には・・・
「中世まで三門なかりしに
連歌師宗長白銀若干をよせて資料とし
三門を建てしかれども、
閣をかまゆるのちからなし。
千利休かさねて白銀を施し、
門上に閣を造り自己の像に履をはかしめ、
閣上に置きぬ。
豊臣秀吉公その罪を怒り給ひ、
利休を殺し閣上に置所の木像を一条戻橋に捨る。
その時の住職古渓和尚も
像を置かしむるの罪によつて
大徳寺を出て市原常楽庵に隠る」
と記されています。
この2つの歴史書によると
利休の木像は
一条戻橋で処分された
という伝説なのですが、
事実は利休の死後、
岡山の池田候のもとに移され、
明治二十一年
再びここに安置された。
因みに
『都林泉名勝図会』によりますと
連歌師宗長はこの三門の建立のため、
藤原定家秘蔵の源氏物語を
泣く泣く売却したという。
この三門は、
重要文化財に指定されておりますが、
内陣は、
非公開となっています。
三門(金毛閣)における
不思議な伝説というお話でした。
本日の旅はココまで!
明日の旅は
≪官池と梅橋≫について
となります!
乞うご期待!!
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★ 龍虎 俊輔 ★
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