[-南禅寺の悠久の不思議な旅-]
6日目の本日の旅は、
≪水路閣≫と≪駒ヶ滝≫の
悠久の歴史と
≪ネジリマンポ≫について
迫ります!
南禅寺の水路閣、
あまりにも有名な疏水橋で、
南禅寺においての
観光スポットになっています。
では!私と一緒に
悠久の不思議な歴史を巡る旅に
出掛けましょう!
不思議⑥‐1 〔 水路閣 〕
法堂の南側に位置し、
塔頭・南禅院の手前を東西に横断している
煉瓦造の水路橋のことです!
この水路閣は・・・
田辺朔郎が設計したもので、
全長は、93m!
幅は、約4m!
半円アーチ式の煉瓦造で、
明治21年に完成したものとなります。
また、
古代ローマの水道橋を
模範として造られたそうです。
建設当時は・・・
古い寺院の境内に最新式の建造物を
築造するとしてことで、
物議を醸し出したそうです。
『京都坊目誌』には・・・
「古風の建築物と欧州式の橋台と
相対照して異様の感あり。
竟に風致と新事業とは半随せず。
惜むべし。」
と記されています。
しかし!
築造してから百数年経過した現在、
程よく風化した煉瓦のアーチと
古い禅刹が溶け込んで、
素晴らしい景観美を演出している
不思議さがあります。
特に
紅葉の時期の美しさは、
見事ですね!
因みに、
この水路は、
琵琶湖第二疏水の一部となります。
不思議⑥‐2 〔 駒ヶ滝 〕
水路閣を潜った東側にある最勝院の右手を
蔵春峡沿いに南禅寺山(独秀峰)を登ると、
西面して道智僧正を祀る祠があります。
この周辺は、
江戸期には、「神山佳境」と
呼ばれていました。
その背後に、
樋から細流が落ちている
高さ6mほどの滝のことです。
この滝の右手には・・・
不動明王が祀られていますが、
あまり見栄えが良くないです!
『京城勝覧』には・・・
「よき滝にあらず」
と記されていますが、
しかし
南禅寺創建にかかわる怪異話では
有名な滝で、
多くの地誌に
紹介されているんです!
例えば
『東北歴覧記』には・・・
「古へ三井寺最勝光院の僧正道智、
この地に住す。
山上に駒の瀑あるにより、世に駒の僧正と称す。
その霊、この地を惜しみけるか、
昼夜妖怪千変万化なり。
亀山法皇有験の高僧を召集、
種々加持の法を行はしめ玉ひけれども、やまず。
時に東福寺釈(無関)普門を召す。
普門命を奉り二十口僧侶を率ひ、
宮中に安居すること九旬、
別の行法もなく、唯二時の斎粥、
四時の座禅のみ也。
変怪忽ち止み、上下安寝せり。
叡感の余り、宮を革して寺とし玉ふなり。」
と記され、
『名所都鳥』には・・・
「むかし南禅の地は、もと三井寺の派。
道智僧正の住する所也。
遷化の後もこの地の南禅寺となる事を
深く惜しみ。
まのあたり白き駒に乗りて、
この滝のほとりにあらわれ、
南禅寺を見おろす時には、かならず崇をなす。
これによって駒の僧正と号す。
今にいたって南禅寺の法堂に。
道智が位牌を建て、祀る也」
と記されています。
不思議⑥‐3 〔ネジリマンポ〕
金地院から蹴上方面に抜ける
インクラインの下にある
トンネルのことを言います!
インクラインの軌道とトンネルが、
斜めに交わっているため、
「ネジリマンポ」工法が、採用されており、
それがそのまま
トンネルの名前となったそうです。
建築技術的にも
優れたものとして名高いですね。
蹴上側のトンネルの入口上部には、
明治23年竣工した琵琶湖疏水の功労者で、
第3代京都府知事とである
北垣国道が揮毫した
「雄觀奇想」
と記された額を掲げられています。
雄觀奇想とは・・・
《見事な眺めと優れた発想》という意味を示す
四文字言葉です。
本日の旅は、ココまで!
明日は、
更新(ブログを書く)時間が取れないため
明後日の更新となります!
その明後日、
更新する旅は最終日となり、
オプショナルツアーとなります。
内容につきましては、
お楽しみとなりますので、
乞うご期待!!
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★ 龍虎 俊輔 ★
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