東山慈照寺の十不思議!? | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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歴史作家の龍虎俊輔本人によるブログ。

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銀閣寺の通称で
有名な東山慈照寺の
不思議な旅の続きです。

それでは!私と一緒に
不思議な世界を巡る旅に
出掛けましょう!!

≪ 3日目 ≫

不思議③
 〔 向月台と銀沙離 〕
方丈前に白砂の盛砂のこと。
向月台は、白砂を円錐状に盛り上げ、
頂部を水平にならしているのに対し、
銀沙離は、白砂を檀状につくり、
表面に直線の縞模様を付けられています。
池に流入しする白砂を処分したものという。

これが、設けられたのは・・・
なんと!
江戸時代後期!

享保20(1735)年の『築山庭造伝』には、
記されておりず、
安永9(1780)年の『都名所図会』
寛政11(1799)年の『都林泉名勝図会』
両方に記されているのだが・・・
向月台の高さが増したり、
銀沙離の形状が異なるなどの
記述に差異があるんです。

その中の
『都名所図会』によると
落月を惜しむために設けられたのが、
向月台と銀沙離だそうです。
今では、
この向月台と銀沙離が、
銀閣寺の名物のようなものに
なっています

ちなみに
現在、

向月台の高さは・・・
180cm

銀沙離の高さは・・・
65cm

足利義政が、
この地に東山殿を造営したのが、
文明14(1482)年。
銀閣と呼ばれる観音殿の上棟式が、
行なわれたのが長亨3(1489)年。
また、
この時点で
室町時代の作庭家である善阿弥による
庭園が完成しているので、
向月台と銀沙離も
当然、出来ていると
思っていたのですが・・・
この2つの砂盛りだけが、
江戸時代後期に設けられた
不思議な伝説のお話でした。


今日の旅はココまで!
旅の続きは・・・
乞うご期待!!


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龍虎 俊輔
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