【知恩院】
日本最大を誇る荘厳な三門が迎える
法然上人ゆかりの名刹!
日本最大の三門は、
高さは、なんと!約24m
横幅も、なんと!約50m
と圧巻の大きさだ!
この門をくぐると男坂と呼ばれる急な石段が続いている。
その石段を登ると、
法然上人が祀られている御影堂が出現する。
残念ながら、現在は修復工事中で、
拝観出来ない(T_T)
建築美を堪能するのも良いと思うが、
この知恩院は、不思議の宝庫と呼ばれている。
では
知恩院の七不思議
とは何か?
不思議①
〔 鶯張りの廊下 〕 -仏の誓い-
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下の長さは、
全長550mものあるんだ!
そこを歩くとね(^_-)
鶯の鳴き声に似た音がするので、
静かに歩こうとすればするほど、音が出るので
「忍び返し」とも呼ばれている。
また
この鶯の鳴き声が、
「法、聞けよ」とも聞こえてくることから
不思議な仏様の法を聞く思いがする
なんてことも言われている話でした。
不思議②
〔 白木の棺 〕 -不惜身命-
三門楼上に2つの白木の棺が、安置されている。
その中には将軍家より三門造営の命を受けた
大工の棟梁・五味金右衛門夫婦の自作の木造が、納められている。
彼は、立派なものを造ることを心に決め、
自分たちの像を刻み、命がけで三門を造りました。
やがて、
三門が完成しましたが、工事予算が超過し、
夫婦はその責任をとって、自刃したと伝えられている。
この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて、
現在の場所に置かれ、
見る人の涙を誘うという不思議さがある話でした。
不思議③
〔 忘れ傘 〕 -知恩・報恩-
御影堂正面の軒裏には、
骨ばかりとなった傘を見ることが出来ます!
当時の名工・左甚五郎が、
魔除けのためにおいていったという説
と
知恩院32世・雄誉霊巌上人が、御影堂を建立する際、
この付近に住んでいた白狐が、
霊巌上人に新居をつくってほしいと依頼し、
新居が出来た御礼にこの傘を置いて、知恩院を守ることを
約束したという説
と2つの伝説がある。
いずれにしても、
傘は雨が降る時にさすものなので、水と関係があり、
火災からも守るものとして今でも信じられている
何とも、不思議な傘の話でした。
不思議④
〔 抜け雀 〕 -心を磨く-
大方丈の菊の間にある襖絵は、
狩野信政という狩野派の絵師が、描いたものだそうです。
紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたらしいのですが、
あまりにも上手に描かれたので、
雀が生命を受けて飛び去ったという不思議な伝説がある
話でした。
現存する大方丈の襖絵には、
飛び去った跡しか残っていないですがね(^_-)
不思議⑤
〔 三方正面真向の猫 〕 -親の心-
大方丈の廊下にある杉戸に描かれている狩野信政筆の猫の絵
どちらから見ても見る人の方を正面から睨んでいるように見える
不思議さがある絵。
親猫が子猫を愛しむ姿が見事に表現されていて、
親が子を思う心
つまり
私たちをいつでもどこでも見守って下さっている
仏様の慈悲を表していると言われている話でした。
不思議⑥
〔 大灼子 〕 -仏の救い-
大方丈の入口の廊下の梁に置かれている大きな灼子のことです。
大きさは、なんと!2.5m
その重さは、なんと!30kg
こんな大灼子は、見たことが無いよね(^_-)
戦国武将・三好清海入道が、大坂夏の陣の際、
大灼子を持って暴れまわったとか、
兵士の御飯を「すくい」振る舞ったとか、
という伝説があるんだよ!
「すくう」・・・全ての人々を救いとるという
いわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さを
表しているとのことです。
なんで、こんな大きいものが・・・
梁に置かれているのかという不思議さがある話でした。
不思議⑦
〔 瓜生石 〕 -はげみ-
黒門への登り口の路上にある大きな石のこと。
知恩院が建立される前からこの位置にあったらしい。
周囲に石柵をめぐらされているよ(^_-)
この石は、本当に不思議な伝説の持ち主だよ!
【伝説1】
誰も植えてないのに、瓜のつるが伸び、瓜が青々と実ったという説
【伝説2】
八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨した後、再びこの石に来現し、
一夜のうちに瓜が生え実ったという説
【伝説3】
石を掘ると、二条城までつづく抜け道がある説
【伝説4】
隕石が落ちた場所という説
というふうに様々な伝説がある不思議な石の話でした。
知恩院の七不思議を巡る旅は、
面白いですよ!
知恩院は、境内の拝観は、タダなので、
参詣しやすい寺院だと思います!
☆龍虎 俊輔☆