セミの声がミンミンゼミからツクツクボウシに代わった。
見上げた空は高く、アキアカネが飛んでいる。
そろそろ秋が近づいて来たようだが、まだまだ日差しは強く暑かった。
とある火曜日の午前10時。
一通りの家事を終え家を出た峰子は、足取り重く商店街を歩いていた。
峰子が敢えてゆっくり向かう先は、商店街の入口にある行きつけの歯医者だ。
峰子は月に一度、必ず口腔内のお掃除に通っているのだが、歯石取りに慣れる事はなかった。
とは言え、40分程の丁寧な処置が終われば、お口の中がとてもスッキリする。
口腔内の衛生が健康に与える影響は、本当に大きい。
それだけではなく、歯にも愛を向けて奇麗にケアしている事で、人生までが変わるのだ。
判っていても、やはり歯医者さんは苦手な峰子だった。
しかし峰子は、趣味と言えるほど歯磨きが好きだった。
夜寝る前に、何本もの歯ブラシを使い分けながら、丁寧に時間をかけて水だけで磨き上げると、峰子のその日のストレスも奇麗に解消されていく。
主に水磨きで十分奇麗になるのだが、最後の全体磨きで、ほんの少しだけ歯磨き粉を使う。
磨き終わると、峰子はいつも秘密の呪文を呟く。
ここまでが峰子の決まり事なのだ。
その秘密の呪文の言葉とは。
『プラークコントロール完了』
この呪文の効果は、やってみると判る。
ただ丁寧に磨いただけの時と、最後に呪文を呟いた時とでは、明らかな違いが出るのだ。
これだけではなく、生活の中で使う言霊を、峰子は大切にしていた。
歯医者から帰る峰子の足取りは、夏休みの宿題が終わった時のように、とても軽やかだった。
峰子は歯医者さんと歯科衛生士さんに感謝しながら思った。
喩え人に嫌がられても、その人に必要で大切な事が出来る人で在りたいな。