青森の風土に育まれ、土の匂いと人々の息遣いの中から力強い作品を生み出した版画家、棟方志功。彼の人生は、決して平坦なものではありませんでした。裕福とはいえない家庭環境、病弱な少年時代、決して器用ではなかった学業。それでも彼は、自らの内側から湧き上がる衝動を信じ続けました。その中心にあったのが「無心こそ至上の境地」という言葉です。無心とは何でしょうか。何も考えないことではありません。努力を放棄することでもありません。むしろその逆です。徹底的に向き合い、徹底的に没頭し、自分の小さな計算や見栄や恐れをすべて超えてしまった状態。それが無心です。自分がどう見られるか、評価されるか、成功するか失敗するか、そうした雑念が消えたとき、人ははじめて本当の力を発揮します。若い皆さんは、いま多くの不安を抱えているかもしれません。周囲と比べられる日々、成果を急かされる環境、将来への焦り。何者かにならなければならないという圧力。そうした中で、つい自分をよく見せようとし、失敗を避けようとし、安全な道を選ぼうとする。しかしその瞬間、心は曇ります。創造の炎は弱くなります。棟方志功は、評価を計算して作品を作った人ではありませんでした。売れるかどうかを考えて彫ったのでもありませんでした。彼はただ、心の奥底から湧き上がる命のエネルギーを、そのまま板に刻みつけました。無心で彫る。無心で描く。無心で生きる。その姿勢が、世界に衝撃を与える作品を生み出したのです。無心とは、自分を消すことではありません。むしろ自分の奥にある本質をむき出しにすることです。人は頭で考えすぎると、本当の自分から離れていきます。損得、評価、世間体、流行。それらに振り回されるうちに、自分が何を愛し、何に心を震わせるのかを見失ってしまう。無心とは、それらを一度手放し、ただ純粋に心の声に従う勇気です。棟方志功の版画は、荒々しく、大胆で、時に激しく、時に優しい。技術的に整っているというより、命が噴き出している。そこには計算よりも衝動があり、理屈よりも祈りがあります。彼は仏を彫るとき、女性を描くとき、花を刻むとき、対象と一体になりました。自分が表現しているという意識さえ消え、ただ命が流れるままに手が動く。その境地こそが、至上の境地だったのです。若い皆さんに伝えたいのは、何かを始めるとき、どうか無心になってほしいということです。完璧でなくていい。上手でなくていい。まずは夢中になることです。時間を忘れ、周囲を忘れ、評価を忘れ、ただ没頭する。その瞬間、人は最も自由になります。現代社会は、常に結果を求めます。数字、フォロワー、偏差値、年収。けれども無心の時間には、そうしたものは入り込めません。無心の中でこそ、真の創造が生まれます。自分の可能性は、他人の尺度では測れない。無心で挑戦した先にこそ、本当の才能が目覚めます。棟方志功は、自らを天才とは思っていませんでした。自分はただ彫らせてもらっているのだ、と語りました。自然や仏や生命の力が、自分の手を通して現れているのだと。その謙虚さもまた無心です。自分が偉いのではない。自分を通して何かが流れている。その感覚を持ったとき、人は傲慢さから解放されます。無心で努力するということは、結果に執着しないということです。しかしそれは、いい加減になることではありません。むしろ誰よりも真剣に向き合うことです。ただし、恐れに支配されない。評価に縛られない。失敗を恐れない。そうした自由な心で挑み続けることです。失敗したらどうしよう。笑われたらどうしよう。そう思う瞬間、心は縮こまります。けれども無心になれば、その不安は消えていきます。今この一瞬に集中する。彫るなら彫る。書くなら書く。学ぶなら学ぶ。全身全霊で向き合う。そこに未来への扉があります。若さとは、本来無心に近い状態です。子どもは夢中で遊びます。時間を忘れます。誰かに褒められるためではなく、ただ楽しいから走る。そこにこそ純粋な力があります。大人になるにつれて、私たちは余計なものを背負っていきます。しかし棟方志功は、生涯その子どものような情熱を失いませんでした。無心で生きるとは、今を全力で生きることです。過去の後悔に縛られず、未来の不安に押しつぶされず、ただ今この瞬間に命を燃やす。その積み重ねが人生をつくります。遠い成功を計算するより、目の前の一歩に魂を込める。その姿勢が、やがて道を開きます。もし夢があるなら、無心で挑んでください。もしやりたいことがあるなら、周囲の声よりも自分の内なる声を信じてください。計算より情熱を。恐れより行動を。比較より没頭を。その先に、あなたにしか辿り着けない景色があります。棟方志功の生涯は、才能よりも情熱が人を動かすことを証明しています。環境が整っていなくても、理解者が少なくても、無心で打ち込めば道は開ける。心の奥底にある火を消さないこと。それこそが若者への最大のメッセージです。無心こそ至上の境地。この言葉は、逃げるなという意味ではありません。むしろ解き放てという呼びかけです。自分を縛る鎖を外し、本来の力を解放せよという励ましです。無心になったとき、人は最も強く、最も優しく、最も美しくなります。どうか恐れず挑んでください。どうか計算よりも情熱を選んでください。どうか評価よりも没頭を選んでください。あなたの中にも、まだ目覚めていない巨大な可能性があります。それは無心の中でこそ花開きます。棟方志功さん。あなたが示してくださった無心の境地は、時代を超えて若者の心を照らしています。命をそのまま刻みつけるような生き方を、私たちはこれからも学び続けます。本当にありがとうございます。