西田幾多郎の思想は、難解な哲学として語られることが多いにもかかわらず、その根底には驚くほど人間的で、やさしく、そして力強い人生へのまなざしがあります。彼の言葉は、知識を誇るための哲学ではなく、迷い、苦しみ、立ち止まりながらも生きていく私たち一人ひとりの心に静かに寄り添い、再び歩き出す勇気を与えてくれるものです。とりわけ純粋経験とは、思考と言語の介在する前の直接的な体験であるという言葉には、西田哲学の核心と同時に、現代を生きる若い人たちへの深い励ましが込められています。私たちは日々、考えすぎる時代を生きています。何をするにも意味を求め、正解を探し、評価を気にし、失敗を恐れます。行動する前に考え、感じる前に言葉を当てはめ、自分の心よりも他人の目や社会の基準を優先してしまうことが少なくありません。その結果、本当は何を感じているのか、自分は何を大切にしたいのかが分からなくなり、心が疲れ果ててしまう若者が増えています。そんな時代にあって、西田幾多郎の語る純粋経験は、私たちに生き方そのものを問い直すきっかけを与えてくれます。純粋経験とは、頭で理解する前の、生きた実感そのものです。嬉しいと感じる前に、すでに心が温かくなっている瞬間。悲しいと名づける前に、胸が締めつけられるように痛む感覚。美しいと判断する前に、息をのむほど心を打たれる光景。そこには説明も理屈もなく、ただ生きているという事実が、まっすぐに立ち現れています。西田は、人間の根源はこの直接的な体験にあると考えました。思考や言葉は大切ですが、それは後から生まれるものであり、人生の本質は、まず感じること、生きているという事実をそのまま受け取ることにあると教えているのです。この考え方は、逆境に立たされたときほど、大きな意味を持ちます。苦しいとき、私たちはつい理由を探し、原因を分析し、自分を責めたり、他人と比べたりします。しかし純粋経験の立場に立てば、まず苦しいという事実を、そのまま生きることが大切になります。逃げずに、否定せずに、今ここで感じている痛みや不安を、ありのまま引き受けること。それは決して弱さではありません。むしろ、自分の人生と正面から向き合う、最も誠実で勇気ある態度なのです。若い人たちは、まだ人生が始まったばかりであるがゆえに、不安や焦りを強く感じやすいものです。将来が見えないこと、努力が報われるか分からないこと、人間関係がうまくいかないこと。その一つひとつが、心に重くのしかかります。しかし西田の思想は、未来を無理に見通そうとしなくてよいと静かに語りかけます。大切なのは、今この瞬間をどれだけ深く生きているかということです。純粋経験に生きるとは、未来の成功や失敗にとらわれる前に、今の一歩を確かに踏みしめることでもあります。何かに夢中になっているとき、人は時間を忘れます。結果を気にせず、評価を求めず、ただその行為そのものに没頭している状態。そこには計算も損得もありません。西田が言う純粋経験とは、まさにそのような生の充実した瞬間です。若い人が自分の力を信じられなくなったとき、自信を失ったときこそ、この感覚を思い出してほしいのです。あなたはすでに、何度も純粋経験を生きてきたはずです。それは特別な哲学の訓練を受けた人だけのものではなく、誰の人生にも静かに流れている、生きる力そのものなのです。また、西田の哲学は、自己肯定のあり方についても深い示唆を与えてくれます。私たちは言葉や評価によって自分を定義しがちです。成績がいいから価値がある、役に立つから意味がある、認められるから存在してよい。しかし純粋経験の立場では、生きているという事実そのものが、すでにかけがえのない価値を持っています。何かができる前に、何者かになる前に、あなたはすでに生きており、感じており、そのこと自体が尊いのです。この視点は、自己否定に苦しむ若者の心を、そっと解きほぐしてくれます。逆境に立ち向かう勇気とは、無理に強くなることではありません。痛みを感じないふりをすることでもありません。純粋経験に生きるとは、弱さを含めた自分の全体を受け入れながら、一歩ずつ前に進むことです。考えすぎて動けなくなったときは、まず感じることから始めてみる。言葉にできない不安があるなら、その沈黙ごと抱えてみる。その姿勢こそが、西田幾多郎の哲学が教えてくれる、本当の強さなのです。現代社会はスピードが速く、答えを急がせます。しかし人生の真実は、すぐに言葉になるものばかりではありません。だからこそ西田は、思考と言語の前にある体験を大切にしました。それは、人生を深く味わい、自分自身の足で立つための、静かで確かな道しるべです。若い日本人が、自分の感覚を信じ、今を生きる勇気を取り戻すとき、西田幾多郎の言葉は、時代を超えて力を放ち続けるでしょう。最後に、私たちに生きることの原点を思い出させ、迷いの中にあっても自分自身を信じる道を示してくれた西田幾多郎に、心からの感謝を捧げたいと思います。ありがとうございました。