土光敏夫さんの言葉「自分の幸せより、人の役に立つ喜びを知れ。」この言葉は、単なる道徳的な美辞麗句ではありません。土光敏夫という一人の人間が、生涯をかけて実践し、背中で語り続けた生き方そのものから生まれた、重く、厳しく、しかし限りなく温かい言葉です。この言葉を理解するためには、土光敏夫さんの生活ぶり、そして彼が生き抜いた昭和という時代背景を抜きにして語ることはできません。土光敏夫さんは、戦前戦後を通じて日本の産業界を支え、日本経済の復興と発展に深く関わった人物です。東京芝浦電気、現在の東芝の社長、会長を務め、さらに経団連会長として、日本全体の進路に責任を負う立場にありました。肩書だけを見れば、華やかで、裕福で、権力の頂点に立つ人物に思えるでしょう。しかし、彼の実際の生活は、そうしたイメージとは正反対のものでした。土光敏夫さんは、終生、極端なほどの質素な生活を貫いたことで知られています。自宅は質素そのもので、食事は質素な和食、朝は麦飯と味噌汁、梅干し。電灯は必要最低限しか使わず、冬でも暖房を極力使わない。風呂の湯は家族で順番に入り、最後の一滴まで無駄にしない。役員報酬がいくら高額であろうとも、生活を贅沢に変えることはありませんでした。なぜそこまで質素に生きたのか。それは節約が美徳だから、清貧が尊いからという単純な理由ではありません。土光敏夫さんは、自分が使う一円一円は、社会から預かっているものだと考えていたのです。自分が贅沢をすれば、その分だけ誰かの努力や犠牲を踏みにじることになる。経営者とは、自分の欲望を満たす存在ではなく、多くの人の生活と未来を背負う存在だという、強烈な自覚があったのです。この考え方は、昭和という時代を生きたからこそ、より切実な意味を持っていました。昭和は、戦争と敗戦、焼け野原からの復興、高度経済成長という激動の時代です。国全体が貧しく、人々は明日の米をどう確保するかに必死でした。企業が成長することは、単なる利益追求ではなく、国を立て直し、人々の生活を守る使命そのものでした。土光敏夫さんは、戦後の混乱の中で、企業の責任の重さを誰よりも痛感していました。企業が倒れれば、そこで働く人々とその家族が路頭に迷う。技術が遅れれば、日本全体が世界から取り残される。だからこそ、経営者は自分の幸せを後回しにしてでも、人の役に立つことを第一に考えなければならない。そうでなければ、経営者である資格はないと考えていたのです。「自分の幸せより、人の役に立つ喜びを知れ。」という言葉には、このような覚悟が込められています。人の役に立つとは、単に親切にすることや、善行を積むことだけを意味しません。自分の立場で、自分にしか果たせない責任を、逃げずに引き受けることです。楽な道を選ばず、誰かがやらなければならない苦しい役割を引き受けることです。土光敏夫さんは、経団連会長として、行財政改革や増税といった、国民から嫌われる役割も引き受けました。誰もが批判を恐れて口をつぐむ中で、国の将来を思えば避けて通れない現実を、あえて正面から語ったのです。それは人気を得るためでも、名誉のためでもありません。自分が憎まれることで、次の世代が少しでも良い社会で生きられるなら、それでいいという覚悟でした。この姿勢は、今の若者たちにとって、極めて重い問いを投げかけています。現代は、個人の幸せや自己実現が強調される時代です。自分らしく生きること、自分が幸せであることは、確かに大切です。しかし、その幸せは、どこから生まれているのか。誰かの努力や犠牲の上に成り立ってはいないのか。社会から受け取るばかりで、社会に何を返しているのか。土光敏夫さんの言葉は、そうした問いを、静かに、しかし逃げ場なく突きつけてきます。人の役に立つ喜びは、すぐに感じられるものではありません。評価されないこともあります。報われないこともあります。むしろ、損をすることの方が多いかもしれません。それでも、自分の力が誰かの支えになり、社会の歯車の一部として確かに機能していると感じられたとき、人は深い充実感を得ます。その喜びは、一時的な快楽や自己満足とは比べものにならない、静かで、長く続く喜びです。土光敏夫さんは、そのことを、言葉だけでなく、生活のすべてで示しました。質素な暮らしは、自分を律するためであり、社会への敬意の表れでした。厳しい発言は、未来への責任感から生まれたものでした。彼は、幸せを追い求めるのではなく、役に立つことを追い求めた結果、誰よりも深い生きがいを手に入れた人だったのです。今の若者たちは、先の見えない時代を生きています。努力が必ず報われるとは限らない。正しいことをしても評価されないこともある。そんな中で、自分の幸せだけを基準に生きていけば、失望や不満は尽きません。しかし、視点を少し変え、自分が誰の役に立てるのか、自分にできる小さな責任は何かと考え始めたとき、人生の意味は大きく変わります。土光敏夫さんの言葉は、若者に自己犠牲を強いるためのものではありません。むしろ、自分の人生を空虚なものにしないための戒めです。人の役に立つ喜びを知ることで、人は自分自身を誇れるようになる。他人と比べなくても、自分の足で立っている実感を持てるようになる。その強さこそが、どんな時代にも通用する本当の力なのです。昭和の厳しい時代を生き抜いた一人の経営者の生き方は、令和を生きる私たちにとっても、決して古びることのない指針です。便利さや効率が進んだ今だからこそ、土光敏夫さんの質素さ、覚悟、責任感は、より鮮やかに心に響きます。自分の幸せを否定するのではなく、それを超えたところにある、人の役に立つ喜びを知ること。その喜びを知った人は、どんな困難の中でも、自分の人生を見失うことはありません。土光敏夫さんが遺してくれたこの言葉と生き方に、今を生きる私たちは、静かに頭を下げ、深く学びたいと思います。日本の未来を思い、人のために尽くす姿勢を示してくださったことに、心から感謝申し上げます。