相田みつを先生の書にある迷ってもいい そこから学べばいいという言葉は、私たちの心の奥深くに、静かで確かなぬくもりを残します。この短い言葉には、人として生きるうえで避けることのできない迷いを、そのまま受けとめ、そこに価値を見いだそうとする深い慈しみが込められています。私たちはいつの時代も、迷わずに生きたいと願います。できれば正解だけを選び、遠回りせず、失敗もせず、評価されながら進みたい。特に若い頃ほど、迷うことは弱さであり、恥ずかしいことであり、遅れをとる証のように感じてしまいます。しかし相田みつを先生は、その考え方をやさしく否定します。迷ってもいい。それは人間として自然なことであり、むしろ生きている証なのだと語りかけてくるのです。迷うということは、真剣に考しているということです。どうでもいいことには、人は迷いません。自分の人生や仕事、人との関係、進む道を大切に思っているからこそ、迷いが生まれます。その迷いは、心が怠けているのではなく、誠実に生きようとしているからこそ生まれるものです。相田みつを先生のこの言葉は、迷っている自分を責めるのではなく、よくここまで考えてきたねと、そっと肩に手を置いてくれるようなやさしさがあります。そしてこの言葉の本当の深さは、後半のそこから学べばいいにあります。迷うこと自体が目的なのではなく、その迷いを通して何を学ぶかが大切なのだと教えてくれます。迷いの中には、失敗や後悔、不安や焦りがつきものです。しかしそれらは決して無駄ではありません。迷ったからこそ、自分の弱さを知り、人の痛みが分かるようになり、表面的な正解ではなく、本当に自分が大切にしたいものに気づくことができます。人生を振り返ったとき、多くの人が口をそろえて言います。あのときの迷いがあったから、今の自分があると。順調に見える人生の裏側には、必ず人知れず悩み、立ち止まり、遠回りした時間があります。その時間は決して失われたものではなく、心の奥に静かに積み重なり、後になって生きる力となって現れます。相田みつを先生は、そのことを知っていたからこそ、迷いを否定せず、そこから学ぶ姿勢を大切にされたのでしょう。現代は、答えを急ぐ時代です。検索すればすぐに正解らしきものが見つかり、人と比べることで自分の立ち位置も分かってしまいます。その中で迷うことは、無駄で非効率なもののように扱われがちです。しかし本当に大切な答えほど、すぐには見つかりません。自分の心と向き合い、悩み、揺れ動きながら、時間をかけて見つけていくものです。その過程を飛ばしてしまえば、たとえ正解に見える道を選んだとしても、心はどこか空虚なままです。迷いの中で人は謙虚になります。自分はまだ分からない存在なのだと認めることで、人の話に耳を傾け、学ぶ姿勢が生まれます。迷わずに断言する人よりも、迷いながらも一歩ずつ進む人のほうが、深い知恵とやさしさを身につけていきます。相田みつを先生の言葉は、そうした人間の成長の道筋を、飾らない言葉で示してくれます。この言葉が心に響くのは、命令でも説教でもないからです。こうしなさいと押しつけるのではなく、迷ってもいいんだよと、まず受けとめてくれる。そのうえで、そこから学べばいいと、そっと背中を押してくれる。その距離感が、多くの人の心を救ってきました。だからこそ、世代を超えて、今もなお読み継がれているのでしょう。相田みつを先生の書は、言葉だけでなく、その文字の佇まいそのものが語りかけてきます。力強くもあり、どこか不揃いで、人間の息づかいが感じられる線。その中に、迷いながら生きてきた人生の重みと、学び続けてきた誠実さがにじみ出ています。文字を目で追っているうちに、言葉が頭ではなく、心に染み込んでくるのです。迷っている今の自分を、そのまま肯定してもいいのだと、この言葉は教えてくれます。そして迷いを抱えたままでも、一歩ずつ進めばいいのだと、静かに励ましてくれます。迷いは消さなくていい。避けなくていい。ただ、その中から何かを学び取ろうとする姿勢があれば、人生は必ず深みを増していく。その確信が、この短い言葉には込められています。ぜひ言葉として読むだけでなく、相田みつを先生の書そのものを見て、感じてほしいと思います。墨のにじみや余白、線の揺らぎの中に、言葉以上の想いが息づいています。書を見ることで、この言葉がより深く胸に届き、人生の中でそっと支えとなってくれるはずです。相田みつを先生、迷うことを許し、学ぶことの尊さを教えてくださり、ありがとうございます。その言葉と書は、今も私たちの心を照らし続けています。