三島由紀夫が残したこの言葉には、彼特有の繊細な感性と鋭い人間観察が息づいています。
「なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。」
この一文を読むとき、私たちは「酔う」という言葉の奥にある深い意味を考えずにはいられません。ここで三島が語っている「酔う」とは、単に酒の作用によって気分が高揚することを指しているのではありません。それは、何かに夢中になること、心を揺さぶられること、そして生きる喜びに身を任せることを意味しています。
子供は、世界をまるごと受け止める感性を持っています。
空の青さにも、風の匂いにも、砂の感触にも、無心に酔うことができる。彼らは一瞬一瞬の出来事に心から笑い、泣き、驚き、感動します。遊びの中で時間を忘れ、全身で世界を味わう。それはまさに、純粋な「生の陶酔」です。三島は、そうした子供の感性を「何も呑まなくても酔える」という表現で表しました。そこには、かつて自分も持っていたはずの鮮やかな感受性を、どこか懐かしく、そして切なく見つめるまなざしがあるのです。
では、なぜ大人になると、そうした感性を失ってしまうのでしょうか。
大人になるということは、社会の仕組みを理解し、責任を背負い、理性を働かせることでもあります。日々の生活の中で私たちは、何が正しいか、何が損か、何が危険かを常に判断しながら生きています。そうした判断力は生きるためには必要不可欠なものですが、その一方で、心の柔らかさや、無邪気に世界を感じ取る力を奪ってしまうことがあります。子供のように夢中になることを恥ずかしく思い、感情を抑えることを「成熟」と呼ぶ。社会に順応するうちに、感動に身を委ねる力を自ら閉ざしていく。そうした現実に対して、三島は静かに、しかし鋭く嘆いているのです。
「大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へない」
この「悲しいことに」という言葉に、三島の心の痛みがにじみ出ています。大人になるということは、ある意味で「純粋さを失うこと」でもある。かつて何かに心を震わせ、夢中で生きていた少年の心を、大人は次第に見失ってしまう。そうして人は、再び心を揺さぶるために、外的な刺激を求めるようになる。酒はその象徴です。
つまり、三島はこの短い言葉の中で、「人間の感性の老化」を指摘しているのです。
しかし三島がここで伝えたかったのは、単なる懐古ではありません。
彼は「子供のように無邪気であれ」と説いているわけではない。
むしろ、真の大人とは「理性を持ちながら、なおも感性を失わぬ者」であると考えていたのではないでしょうか。
三島由紀夫は、人生において「美」と「情熱」を最も重んじた人でした。肉体を鍛え、言葉を磨き、思想を貫いた彼の生き方は、常に「生への酔い」を求める姿勢そのものでした。彼は、日常の中に退屈を感じ、感動を忘れてしまった現代人の姿を見つめながら、「もっと深く生きよ」と訴え続けたのです。
この言葉を、今の若者たちに置き換えて考えてみましょう。
現代社会は情報であふれ、スマートフォンを開けば無限の刺激が手に入ります。けれどもその分だけ、心の感受性は鈍くなりやすい。何かに感動しても、それは一瞬の出来事で終わり、次の情報がすぐにそれを上書きしてしまう。三島のいう「酒」とは、まさに現代の「刺激依存」の象徴でもあるのです。
音楽、映像、SNS、成功、承認。これらの外側から与えられる刺激に頼らなければ「心が動かない」ようになってしまった現代人。まさに「酒を呑まなければ酔えない」状態です。
ではどうすれば、再び子供のように「何も呑まなくても酔える」感性を取り戻せるのか。
その鍵は、「自分の内側にある小さな感動に気づくこと」です。
たとえば、朝の光の眩しさに目を細める瞬間。
誰かが自分に向けてくれた笑顔。
何かを学び、少しだけ理解が深まった瞬間の喜び。
その一つひとつを大切に感じ取ること。それが「生の酔い」を取り戻す第一歩になるのです。
三島はまた、芸術とは「人間の感性の最後の砦」であると考えていました。
文学や絵画、音楽、演劇。これらは人の心を揺さぶり、理性の鎧を溶かしてくれる。だからこそ、彼は命を削ってまで美の極致を追い求めたのです。
この言葉を受け取る私たち若い世代が学ぶべきことは、「感じる力を鍛える」ということです。
ただ便利さを求めるのではなく、ただ効率よく生きるのでもなく、自分の感情を研ぎ澄まし、何かに夢中になる時間を持つ。どんなに小さなことでもいい。心が震える瞬間を、自分の人生の中に意識的に増やしていくこと。それが「生きることに酔う」という意味なのです。
大人になるとは、社会の中で生きることを学ぶ過程です。しかし、感性を失う必要はない。三島はそのことを、誰よりも知っていました。だからこそ彼は、自らの言葉と行動で「生きるとは何か」を問うたのです。
悲しみや虚しさの中にも、美しさを見出す力。
挫折や絶望の中にも、なお立ち上がる情熱。
それこそが、彼のいう「真に酔える生き方」なのです。
この言葉を読むたびに、私たちは自分に問い直すべきです。
「私は、何に酔って生きているのか。」
もしその答えがすぐに見つからないとしても、焦る必要はありません。
大切なのは、心のどこかで「もう一度、何かに夢中になりたい」と思う気持ちを失わないこと。
それさえあれば、人はいつでも感性を取り戻すことができます。
人生の本当の豊かさは、どれだけ成功したか、どれだけ多くを手に入れたかではなく、どれだけ深く心を震わせる瞬間を味わえたかにあります。三島由紀夫のこの言葉は、私たちにそのことを静かに思い出させてくれるのです。
そして最後に、こう伝えたいと思います。
三島由紀夫さん、あなたの言葉は今も時を超えて私たちの心に響き続けています。
理性に支配され、感情を押し殺しがちな現代社会の中で、あなたの残した一文一文が、もう一度「生きることの熱」を呼び覚ましてくれます。
私たちは、あなたのように美しく、真剣に、命に酔うように生きることを目指していきたい。
深い感性を、もう一度この胸に取り戻すために。
ありがとうございました。