瀬戸内寂聴さんの言葉、「愛は求めるものじゃなくて、分けあうものよ」。
この一言には、長い人生を生き抜いた人だからこそ語ることができる深い真理が込められています。愛を「もらう」ものだと思い込んでいるうちは、人は永遠に満たされない。けれど、「分けあう」ことを知ったとき、愛は限りなく広がり、温かさが自分の中にも、相手の中にも生まれていくのです。

瀬戸内寂聴さんは、生涯を通じて人間の心の弱さや愚かさ、そして美しさを見つめ続けました。若い頃には恋愛に悩み、家庭を捨て、孤独を味わい、作家としても僧侶としても数え切れないほど多くの人の心に寄り添ってきた人です。その寂聴さんが「愛は求めるものじゃない」と言うとき、そこには「愛に苦しんできた人間の真実」があります。

私たちは誰しも、愛されたい、認められたい、必要とされたいと願います。それは人間にとって自然な感情であり、生きる力にもなります。しかし、愛を「欲しい」と願うあまり、相手の気持ちよりも自分の満足を優先してしまうことが多いのです。誰かを責めたり、思いどおりにならないと嘆いたりするのは、「愛をもらう側」に立っているからです。

寂聴さんが伝えたかったのは、その先にある「与える愛」「分けあう愛」の世界です。自分の中にある温かさ、思いやり、優しさ、そうしたものを少しずつ人と分けあっていくこと。たとえば友人の悩みを静かに聞いてあげること。困っている人に声をかけること。誰かの成功を心から喜ぶこと。それらはすべて「愛を分けあう」行為なのです。

分けあう愛には、取引がありません。見返りも期待しません。けれど不思議なことに、分けあえば分けあうほど、心は豊かになっていく。自分の中にあった孤独が薄れ、いつの間にか愛されていることにも気づく。愛とはそういう循環の中にあるものだと、寂聴さんは教えてくれているのです。

彼女はよく、恋愛の相談を受けると「恋はね、苦しいものよ。でも、その苦しみの中に生きる力があるの」と言いました。恋は思い通りにはならない。相手が自分を見てくれなくても、愛する気持ちは自分の中に確かに存在する。その気持ちが、人を成長させ、優しくする。だから、愛することを恐れないでほしいと寂聴さんは言うのです。

また、愛を「分けあう」ことは、決して恋愛に限った話ではありません。家族への愛、友人への愛、仕事への情熱、自然への感謝、社会への思いやり。愛の形は無限にあります。たとえば、親に「ありがとう」と一言伝えること。先生や同僚に「あなたのおかげです」と微笑むこと。それらもすべて、分けあう愛のかたちです。

寂聴さんは、「愛は生きるエネルギー」だと語っていました。年齢を重ねても、人は愛によって生きることができる。愛する相手がいないときでも、世界に向かって愛を送ることはできる。花を見て美しいと思う心、空を見上げて感動する心、動物をかわいいと感じる心。それらもすべて、愛の芽生えなのです。

現代社会では、愛が誤解されやすい時代かもしれません。SNSの「いいね」や、言葉だけの優しさがあふれ、誰もが「愛されたい」という欲求を強く抱えています。けれど、寂聴さんが説いた「分けあう愛」は、そんな表面的なものではありません。
それは、静かで深いもの。誰にも見えないところで人を思い、そっと手を差し伸べるような愛です。たとえ相手が感謝を示さなくても、その行為が自分の心を清らかにし、生きる力を与えてくれる。

寂聴さんは、若者にこう語ったことがあります。「愛を求めるうちは、まだ子どもなの。愛を与えられるようになったとき、人は本当に大人になるのよ」と。
この言葉は、厳しくも優しい教えです。人は皆、誰かに愛されたいと願うところから始まります。それは自然なこと。けれど、いつかその段階を越えて、「愛する喜び」を知ることが人生の成熟なのだと、彼女は教えてくれました。

愛を分けあうことは、自己犠牲ではありません。むしろ、自分を大切にしているからこそできることです。心に余裕がある人ほど、人に優しくできる。だから、まず自分自身を愛しなさい、と寂聴さんはよく言っていました。
「自分を好きになること。それが一番の修行よ」と。自分を責めたり、他人と比べたりしているうちは、人に本当の愛を分け与えることはできません。ありのままの自分を受け入れ、欠点も弱さも含めて抱きしめること。そこから、やっと人を愛する準備が整うのです。

寂聴さんは、愛を語るとき、必ず「赦す」という言葉も使いました。人を赦すことは、愛を分けあう行為の一つです。誰かに裏切られたり、傷つけられたりしても、その人を憎み続けるよりも、赦すことで自分の心を自由にする。寂聴さんは、そうした「赦しの愛」を実践して生きてきました。
彼女自身、多くの過ちを犯し、非難も受けました。それでも逃げずに人と向き合い、最後まで愛と慈悲を持ち続けた。その姿こそ、言葉以上の教えです。

若者たちにとって、「分けあう愛」というのは、時に難しいテーマに感じられるかもしれません。恋に破れたとき、人間関係で裏切られたとき、そんなときに「愛を分けあう」なんて無理だと思うこともあるでしょう。
でも、寂聴さんは言います。「人を恨んでも、何も変わらないのよ。あなたが相手を許して、優しくなれたとき、あなたの中の愛が本物になるの」と。愛の本質は、勝ち負けでも支配でもない。愛とは、心をひらくこと。心をひらけば、傷ついた分だけ深く人を思えるようになる。

愛を分けあう人のまわりには、必ず穏やかな空気が流れます。相手が笑ってくれたら嬉しい。助けられたら「ありがとう」と素直に言える。そんな小さなことの積み重ねが、社会全体を少しずつやわらかくしていくのです。寂聴さんは、「世界を変えようと思うなら、まず一人の人を優しくしなさい」と言いました。愛の始まりは、いつも小さな行為からです。

人生の終わりに近づいても、寂聴さんは愛を語り続けました。老いや死を恐れる人に対しても、「愛があるかぎり、人は最後まで輝ける」と励ましました。彼女にとって愛とは、生きる希望そのものでした。たとえ孤独でも、愛を分けあう心を失わなければ、人は強く、美しくいられる。

今の時代、愛を求める声はあふれています。けれど、誰かを愛する勇気を持つ人はまだ少ないかもしれません。寂聴さんは、その勇気を若者に託していたのです。
「愛されなくても、愛しなさい。そうすればあなたの人生は光に満ちるわ」。この言葉は、見返りを求めない愛を生きた彼女自身の人生そのものを映しています。

愛は求めるものではなく、分けあうもの。
それを知ったとき、人は本当の幸せに出会うのでしょう。誰かに与えた優しさが、めぐりめぐって自分の心を癒してくれる。愛とは、そうして世界をつなぐ力なのです。

瀬戸内寂聴さん、あなたの言葉は今も私たちの心の中で息づいています。
求めるより、分けあう愛を生きること。その意味を私たちに教えてくださって、ありがとうございました。