「一つのことをやり抜いた経験が、自信になる」
この言葉は、上甲晃さんの人生そのものから生まれた、深く、そして重い真実の言葉である。上甲さんは、松下政経塾の塾頭として多くの若者たちを指導してきた人物であり、その指導は単なる知識の伝達ではなく、「生き方そのもの」を問う厳しくも温かい教育であった。彼の言葉には机上の理屈ではなく、人生を懸けた実践と経験が刻まれている。だからこそ、「やり抜く」という言葉には、単なる努力や継続の意味を超えた、魂のような重みがあるのだ。

人は、何かを始めることは比較的容易である。新しいことへの好奇心、挑戦心、あるいは環境の変化によって、多くの人は「始める」ことには勇気を出せる。しかし、その始めたことを「続ける」こと、そして「やり抜く」ことは、想像以上に難しい。途中で結果が出ずに諦めてしまったり、他のことに興味を奪われて中途半端になってしまったりする。上甲さんは、そんな人間の弱さを知り尽くしたうえで、だからこそ「一つのことをやり抜くこと」がどれほど大切かを説いたのだ。

やり抜くというのは、単に長く続けることではない。途中で困難があっても、苦しみがあっても、自分の中で「もう一歩」を踏み出す覚悟を持ち続けること。それは、誰かに評価されるためではなく、自分自身に対して誠実であるための戦いである。上甲さんが育てた多くの若者たちは、口々に「先生は、私たちに“逃げない心”を教えてくれた」と語る。逃げないこと、踏みとどまること、そして信念を貫くこと。その積み重ねの中にしか、本当の自信は生まれないのだ。

今の時代は、変化が速い。情報はあふれ、SNSを見れば、誰かの成功や華やかな人生が次々と流れてくる。そんな時代に生きる若者たちは、つい焦りを感じるだろう。自分だけが遅れている、自分には才能がない、自分の努力は報われない。そう思ってしまうこともあるだろう。しかし上甲さんは、こうした焦りを持つ若者たちに静かに語りかける。「焦る必要はない。一つのことをやり抜けば、それが必ず自信に変わる」と。

では、なぜ「やり抜くこと」が自信につながるのか。
それは、人間が本来「成長する存在」であるからだ。続けることによってしか見えない景色、味わえない実感がある。最初は何もできなかったことが、少しずつ形になり、自分の力で結果を出せるようになる。その小さな成功体験の積み重ねが、人の心を強くする。逆に、途中でやめてしまえば、その過程で得られた成長も、次に活かされない。やり抜くことでしか、自分という人間を信じられる土台はつくられないのである。

上甲さんは、若者たちに対してこうも語っている。「自信は、与えられるものではない。つくるものだ。」
自信を求める人ほど、実は「結果」や「称賛」を求めすぎている。だが、本当の自信は他人の評価ではなく、「自分は逃げずにやってきた」という実感からしか生まれない。誰も見ていないところで努力を積み重ね、最後までやり通した経験が、人を内側から強くするのだ。そのとき人は、他人と比べる必要がなくなる。なぜなら、自分自身がすでに「自分に勝っている」からである。

「やり抜く」という言葉には、痛みが伴う。
途中で失敗もするし、裏切られることもある。思うように結果が出ない時期もあるだろう。しかし、その痛みこそが人を鍛える。上甲さんは「苦しみのない成長はない」とも語っている。逃げたい気持ちを抑えて続けるとき、人間の中に「覚悟」という筋肉が育っていく。やり抜く力は、単に意志の強さではない。それは、何度折れそうになっても立ち上がる「しなやかさ」なのだ。

また、やり抜いた人には「深み」が生まれる。
どんなに才能があっても、途中で投げ出してしまえば、その人の言葉には重みがない。逆に、地味でも、泥臭くても、一つのことをやり抜いた人の言葉には、人の心を動かす力がある。それは、経験が裏打ちされた真実の言葉だからだ。上甲さんが若者たちから尊敬され続けたのは、まさにその「重み」を持っていたからである。説教ではなく、人生そのもので教えてくれる人だった。

やり抜く過程で大切なのは、完璧を求めすぎないことでもある。
多くの人が途中でつまずくのは、「うまくいかない自分を許せない」からだ。しかし上甲さんは、失敗を恐れずに前進する勇気こそ尊いと言う。何かを続けていく中で、失敗や後悔が生まれるのは当然のこと。そのたびに自分を責めるのではなく、「これも学びだ」と受け止める。そうして積み上げた努力は、いつしか人生を支える「財産」になる。

人は、「やり抜いた」と胸を張って言える経験が一つでもあれば、どんな逆境にあっても立ち上がれる。たとえ職を失っても、人間関係がうまくいかなくても、過去に「自分はあれをやり抜いた」という確信がある人は、再び前を向くことができる。なぜなら、その経験が「自分を信じる力」になっているからだ。上甲さんは、若者たちに「成功よりも“やり抜いた経験”を誇れ」と教えてきた。それこそが、人生のどんな場面でも支えになると知っていたからである。

さらに言えば、「やり抜く」とは必ずしも壮大な目標でなくてよい。
毎朝決めた時間に起きる。与えられた仕事を丁寧にやる。誰に対しても誠実に接する。こうした小さなことの積み重ねもまた「やり抜く力」を育てる。むしろ、小さな習慣を続ける中で、人は確実に成長していく。上甲さんは「日々の当たり前をおろそかにしない人が、結局は大きなことを成し遂げる」と語っている。つまり、「やり抜く」というのは、日常の中の小さな誠実さの積み重ねでもあるのだ。

現代社会では、「効率」や「スピード」が重視される。
短期間で成果を出す人が評価され、すぐに結果を求められる時代。しかし、人間の成長には時間が必要である。花が咲くためには、種を蒔き、水をやり、太陽を浴びる時間が必要なのと同じように、やり抜くためには「待つ力」も欠かせない。焦らず、じっくりと、自分を信じて歩み続ける。その姿勢こそが、最終的に確かな自信へとつながる。

上甲さんの言葉の根底には、「人間の尊厳」への深い信頼がある。
人は努力できる存在であり、成長できる存在である。だからこそ、一つのことをやり抜けば、誰でも自分を誇れるようになる。その信念があるから、彼はどんな若者にも決してあきらめず、厳しくも温かい目で見守り続けた。上甲さんに育てられた多くの人たちが社会で活躍しているのは、まさにこの教えが彼らの心に根を下ろしているからだ。

そして、「やり抜く」という生き方は、他人のためにもなる。
途中であきらめずに努力する姿は、周囲に勇気を与える。頑張る人を見て、「自分ももう少し頑張ろう」と思う人が生まれる。そうして、社会に前向きな連鎖が広がっていく。上甲さんが人生を懸けて教えてきたのは、まさにこの「人間の力を信じる教育」であった。

やり抜くとは、信じることだ。
自分を信じる。仲間を信じる。未来を信じる。信じて動き続ける人にしか、到達できない場所がある。誰にでもできることではない。だが、一度やり抜いた経験を持つ人は、必ず言う。「あの経験があったから、今の自分がある」と。

上甲晃さんのこの言葉は、若者たちに向けられた力強いエールである。今の時代、情報や環境に流され、自分を見失いやすい。しかし、どんな時代でも「一つのことをやり抜いた経験」は、人を裏切らない。それは金や地位よりも価値のある、自分だけの宝になるのだ。

上甲さんの人生そのものが、その言葉の証明である。彼は教育者として、指導者として、そして一人の人間として、決してあきらめなかった。若者の可能性を信じ抜き、命を燃やして教えを残した。その姿が何よりも「やり抜く」ことの尊さを物語っている。

上甲晃先生、
あなたの言葉は今も、若者たちの心に生きています。どんな困難に出会っても、自分を信じ、歩み続ける勇気を与えてくださる。その教えに心から感謝申し上げます。
先生の生き方が示してくれた「やり抜く力」を、私たちも受け継ぎ、未来へつなげていきます。