【驕る心は、己を滅ぼす】
――うぬぼれは、築き上げたものを崩す毒となる――
中江藤樹という人物は、日本の「近江聖人」と呼ばれたほど、徳と教育を重んじた人である。江戸時代初期、儒学者として多くの弟子を育て、道徳の根本を「孝」と「誠」に見いだした彼の教えは、三百年以上を経た今もなお、人の心を正す光として輝き続けている。その中でも「驕る心は、己を滅ぼす」という言葉は、現代社会においても決して色あせない深い警鐘である。
私たち人間は、努力して何かを成し遂げたとき、自信や誇りを持つことがある。それは本来、悪いことではない。むしろ自信を持たなければ何事も成し遂げられないだろう。しかし、その自信がいつの間にか「驕り」に変わるとき、心は静かに腐敗を始める。自分は他人より優れている、自分の判断は間違わない、自分こそ正しい――その思いが強くなればなるほど、人は他者の声を聞けなくなり、成長の道を閉ざしてしまう。
中江藤樹がこの言葉を残した背景には、人の「心の姿勢」こそが人生の盛衰を決めるという確信があった。彼の思想の根底には「陽明学」が流れており、「知行合一」すなわち知っていることを行動で示すという実践の学を重んじていた。その実践の中で最も大切にされたのが、「己を正す」ことである。どれほど学問を積んでも、どれほど成功しても、心が驕れば、それは徳を失うことであり、最終的には自分を滅ぼす結果になるという厳しい真理がそこにはある。
驕りの怖さは、外から見えにくいところにある。人が失敗したときは反省しやすい。だが、うまくいっているときこそ、心に油断が生まれる。「自分なら大丈夫」という慢心が、やがて判断を誤らせ、周囲の信頼を失う。仕事でも人間関係でも、成功の影には必ず驕りの誘惑が潜んでいる。中江藤樹は、その危うさを誰よりも見抜いていた。だからこそ、彼は弟子たちに「常に己を省みよ」と説いたのである。
若い人たちが社会に出るとき、最初は誰もが学ぶ姿勢を持っている。先輩に教えを乞い、間違いを素直に認め、成長しようと努力する。しかし、少し仕事ができるようになり、周りから認められるようになると、知らず知らずのうちに人の意見を聞かなくなり、自分のやり方を正しいと思い込むようになる。これが驕りの始まりだ。誰もが一度はこの坂を登り始める。そして気づかぬうちに、その坂は崩れ落ちる。自分の築いたものが音を立てて崩れ始めるとき、人は初めて驕りの恐ろしさを知る。
藤樹の教えは、ただ謙虚であれという表面的な忠告ではない。驕りとは、他人を見下すこと以上に、自分を見誤る心の病であると見抜いていた。だからこそ、彼は常に「誠の心」に立ち返ることを重んじた。誠とは、飾らない真実の心であり、他人にも自分にも偽らない態度である。誠を忘れたとき、人は外見ばかりを飾り、評価を気にし、見せかけの成功に酔ってしまう。だが、その虚飾は長く続かない。やがて真実の心を失った人は、どれほど外側が立派でも、内から崩れていく。
現代社会は、自己表現の時代だといわれる。SNSでは誰もが自分を発信し、評価されることを求める。そこでは、他人より多くの「いいね」を得ることが成功の証のように感じられる。だが、そうした世界ほど、驕りの毒が蔓延しやすい場所でもある。自分を誇示するために他人を見下す、人の失敗を笑う、自分の意見だけを絶対視する。気づけば心は他人との比較に縛られ、真の自由を失ってしまう。中江藤樹がこの時代に生きていたら、きっとこう言うだろう。「人の心が上に浮けば、必ず堕ちる。地に足をつけて生きよ」と。
謙虚であるということは、決して卑下することではない。自分を小さく見せることではなく、常に学び続けようとする姿勢を持つことだ。藤樹は弟子に「学問は己を磨くためにある」と教えた。知識を得ることは目的ではなく、人としての徳を高めるための手段である。どれほど学んでも、心が驕ればその知識は毒になる。だが、謙虚な心で学び続ければ、それは自分を強くし、人を幸せにする力へと変わる。
驕らない生き方は、時に孤独に見えるかもしれない。派手さもなく、他人のように賞賛を浴びることも少ない。だが、そうした静かな生き方の中にこそ、真の豊かさが宿る。藤樹は自らの生活を倹約に徹し、村人たちと同じ目線で生きた。人々が彼を慕ったのは、その学問の高さではなく、心の温かさであった。人を敬い、感謝を忘れず、どんなに小さなことにも誠実であった。その生き方が、まさに「驕らぬ心」の証である。
若者たちよ。
自分が成功したときこそ、謙虚であれ。
称賛を受けたときこそ、感謝を忘れるな。
自分が正しいと思ったときこそ、他人の声に耳を傾けよ。
人間は、失敗ではなく、成功によって崩れることが多い。
だからこそ、どんなときも心の姿勢を正し、誠を持って生きることが、人生を滅ぼさぬ唯一の道である。
藤樹の言葉は、道徳の教えというよりも、人間の心の理にかなった生き方の指針である。人は誰でも驕る心を持つ。しかし、そのたびに自分を省みて、誠の道に戻ることができれば、人生は何度でも立ち上がることができる。驕りを知らずに生きる者は、いつか自らを失う。だが、驕りに気づき、そこから学ぶ者は、さらに深く人を理解し、強く優しい人間になる。
人の真価は、成功の大きさではなく、謙虚さの深さにある。驕らぬ者こそが、最後まで信頼され、愛される。そしてその生き方こそが、時代を超えて光を放つのである。
中江藤樹の「驕る心は、己を滅ぼす」という言葉は、まさに現代に生きる私たちへの贈り物だ。競争の中で焦るとき、自分を誇りたくなるとき、ふとこの言葉を思い出してほしい。その一言が、あなたを正しい方向へと導く灯となる。
最後に、心からの感謝を込めて。
中江藤樹という一人の人間が、誠をもって生き抜いたその姿が、今も私たちに道を示してくれていることに、深い敬意と感謝を捧げたい。彼の言葉は過去の遺産ではなく、今を生きる私たちへの呼びかけである。どうかこの教えを胸に、驕らぬ心で、自らの人生を誠実に歩んでいってほしい。