「悪いことより、良いことを選ぼう」―やなせたかしが若者に遺した生きる勇気


やなせたかしという人の人生は、まるでアンパンマンの物語そのものだった。光と影が混じり合いながら、それでも「人を助けたい」「誰かのために生きたい」という一心で前へ進んできた。彼が晩年に語った「悪いことより、良いことを選ぼう。」という言葉は、子どもに向けられたように見えて、実は大人や若者への深いメッセージである。
それは単なる「道徳」ではなく、生きるための選択の哲学であり、どんな時代でも心に灯をともす生き方の指針なのだ。


やなせたかしが生きた時代は、戦争と貧困の時代だった。
若き日の彼は、戦地で飢えや絶望、そして人間の残酷さを目の当たりにしたという。正義とは何か、善とは何か――その問いが彼の胸に深く刻まれた。戦場では、誰かが倒れても助けることができない現実があり、命を救うことよりも命を奪うことが「正義」とされる矛盾があった。
だからこそ彼は、「本当の正義とは、飢えた人にパンを与えることだ」と信じた。それが後にアンパンマンというヒーローを生み出す原点となった。

アンパンマンは、悪と戦うヒーローではない。彼は誰かを倒すためではなく、誰かを助けるために存在する。顔をちぎってでも人に与える。その優しさと犠牲の象徴が、やなせたかしの哲学だった。
「悪いことより、良いことを選ぼう。」という言葉も、戦うよりも“与える”ことを選んだ人生から生まれたものだ。


しかし、「良いことを選ぶ」というのは簡単なようでいて、実際はとても難しい。
現代の社会では、効率や成功が重視され、人を思いやる行動は“甘い”とか“非合理的”だと見られることさえある。誰かに親切にしても、見返りがないことも多いし、時に損をすることもある。だから、人はつい「悪いこと」を選びそうになる。
たとえば、嘘をついた方が得をするとき。誰かを蹴落とした方が早く出世できるとき。
そんな場面で「良いことを選ぶ」には、強さがいる。自分を信じる心がいる。やなせたかしは、それを“勇気”と呼んだ。

彼はこう語っている。
「ほんとうの正義ってね、すぐに報われないんですよ。だからこそ、信じてやるんです。」
正義を貫くというのは、見返りを求めない愛を信じることでもある。世の中の流れに逆らってでも、自分の信じた“良いこと”を選ぶ。その選択こそが、人としての尊厳であり、生きる意味になる。

やなせたかしは、人生のほとんどを無名のまま過ごした。アンパンマンが世に出るまで、彼は長く貧しい時代を経験している。周囲からは「子どもっぽい」「売れない」「時代遅れ」と言われ続けた。
しかし、彼は描くことをやめなかった。なぜなら、自分が信じた“良いこと”を描き続けることが、たとえ誰にも理解されなくても、正しいと思っていたからだ。
「子どもたちに希望を与える仕事がしたい」という想いだけで、筆を持ち続けた。


やがて、アンパンマンは日本中の子どもたちの心に根づくヒーローになった。
けれど、それは「強いから」「格好いいから」ではない。
彼はいつも傷つき、顔を失いながらも、誰かのために立ち上がる。
その姿に子どもたちは、自分を重ね、涙を流す。
「弱いままでもいい」「できることで人を助けよう」というメッセージが、アンパンマンの行動に込められている。
やなせたかしは、それを“やさしさの勇気”と呼んだ。

良いことを選ぶとは、つまり人を思いやること。人の痛みに共感すること。
それは、決して華やかな道ではない。
むしろ、地味で報われにくく、時に孤独な道である。
しかし、その道を歩く人がいるからこそ、世界は少しずつ良くなるのだ。
やなせたかしは、その「小さな善意の積み重ね」が、社会を支える本当の力だと信じていた。


現代の若者たちは、かつてないほど多くの選択肢の中で生きている。
SNSの中では、正義も悪も、善意も嘘も、瞬時に拡散される。
何が正しいのか、何を信じればいいのか、わからなくなることもあるだろう。
そんな時こそ、やなせたかしの言葉を思い出してほしい。
「悪いことより、良いことを選ぼう。」
それは、外に答えを探すなというメッセージでもある。
答えは自分の中にある。自分の心が温かくなる方を選べばいいのだ。

やなせたかしは、「人生は喜ばせごっこだ」とも言っている。
人を喜ばせることを遊びのように楽しむ。
それが、彼にとっての生き方だった。
だからアンパンマンも、どんなにつらくても笑っている。
それは、自分が笑うことで周りの人が元気になると知っているからだ。
「良いことを選ぶ」というのは、実はそういう小さな行為の積み重ねなのかもしれない。
道に落ちているゴミを拾う。
困っている人に声をかける。
誰かの夢を笑わない。
そうした一つひとつが、やなせたかしの言う“良いこと”であり、世界を変える力になる。


やなせたかしは、生涯を通じて「正義」と「優しさ」の関係を問い続けた。
彼にとって正義とは、「困っている人を助けること」。
つまり、自分のためではなく、人のために行動すること。
その根底には、戦争という悲劇から学んだ深い人間愛がある。
人は誰かを助けるために生まれてきた。
だからこそ、悪いことより、良いことを選ぶのだ。

現代社会では、効率や競争が重視されるあまり、人の痛みが軽んじられる傾向がある。
だが、人間らしさとは、効率では測れない。
やなせたかしは言った。
「立派な人にならなくてもいい。やさしい人になりなさい。」
その言葉には、人生の本質が詰まっている。
立派さより、やさしさ。
勝つことより、支えること。
強さより、思いやり。
それが彼の生き方であり、若者に託した未来への願いだった。


もしあなたが今、道に迷っているのなら、
もしあなたが誰かに傷つけられ、心が冷えているのなら、
思い出してほしい。
悪いことより、良いことを選ぶということは、誰かのために何かをすること。
その小さな選択が、やがて自分自身を救うことになる。
人を幸せにしようとする心が、巡り巡って自分の幸せを呼び戻す。
それが、やなせたかしの信じた“愛の循環”なのだ。

アンパンマンの世界では、バイキンマンという「悪」がいつも登場する。
だが、やなせたかしは、バイキンマンを完全な悪として描かなかった。
彼はいつもどこか憎めず、どこか人間らしい。
時に失敗し、怒られ、泣き、また立ち上がる。
実は、私たち一人ひとりの中にも、アンパンマンとバイキンマンがいる。
良いことをしたい自分と、悪いことに流されそうな自分。
その両方を抱えながら生きていくのが人間なのだ。
だからこそ、やなせたかしは言う。「悪いことより、良いことを選ぼう。」
つまり、完全な正義を求めるのではなく、毎日の中で“少しでも良い選択”をしていこうという優しい呼びかけなのだ。


やなせたかしは、晩年になっても、いつも穏やかに笑っていた。
その笑顔の裏には、数え切れない悲しみや苦労があった。
それでも彼は、人を信じることをやめなかった。
「人は、誰かを幸せにできる力を持っている。」
そう信じ続けたからこそ、彼の作品は時代を超えて人々の心に生き続けている。


私たちは、日々の中で何度も選択を迫られる。
そのたびに、「悪いことより、良いことを選ぼう」と心の中で唱えてみよう。
たとえ小さな一歩でも、それが世界を少しだけ優しくする。
やなせたかしが教えてくれた“やさしさの哲学”は、これからの時代にこそ必要とされている。
彼の描いたアンパンマンは、ただのキャラクターではなく、私たちの中に眠る「もう一人の自分」なのだ。
その心が目を覚ますとき、人は本当に強く、そして優しくなれる。


やなせたかしさん、
あなたが教えてくれた「良いことを選ぶ勇気」を、
これからも胸に抱いて生きていきます。
人を思い、人を信じ、誰かのために生きる。
そんな人間でありたいと思います。
心を温めてくれる言葉と作品を、ありがとうございました。