信を得るは、言葉にあらず行いにあり
人は誰しも、他者から信頼されたいと願います。家族に、仲間に、社会に、そして仕事を通じて関わる人々に。信頼は、人間関係を結びつける最も大切な糸であり、それがなければ友情も愛情も、ましてや組織や国家すら成立しません。けれど、その信頼を築くにはどうすればよいのか。『葉隠』はその答えを端的に示しています。「信を得るは、言葉にあらず行いにあり」。つまり、信頼は美しい言葉や立派な約束によって得られるものではなく、実際の行動によってのみ育まれるのだということです。
私たちはしばしば、言葉の力を過大に信じてしまいます。「必ずやります」「安心してください」「信じてください」――そんな言葉を聞くと、一瞬は心が動きます。しかし、その言葉の裏に行動が伴わなければ、期待は裏切られ、やがて言葉そのものの価値が失われていきます。反対に、無口であっても、黙々と約束を守り続ける人、誰が見ていなくても誠実に務めを果たす人の姿は、人々の心に深い安心と尊敬を生みます。信頼とは、言葉ではなく、積み重なる行動そのものの証明なのです。
若い人への教え
若者にとって、この言葉は大きな指針となります。なぜなら、若い頃は自分を大きく見せようとしたり、まだ成し遂げていない夢や理想を言葉で飾ろうとすることが多いからです。確かに未来を語ることは必要です。しかし、語るだけで終われば、それは虚像にすぎません。あなたの友人も、先輩も、上司も、家族も、あなたの言葉ではなく、行動を見ています。小さな約束を守るかどうか、失敗しても逃げずに立ち向かうかどうか、困難の中で人を思いやれるかどうか。そうした日々の行動の積み重ねが、周囲の心に「この人は信じられる」という感覚を芽生えさせます。
若いうちは、つい「もっと評価されたい」「もっと認められたい」と焦るものです。しかし、信頼は短期間で得られるものではありません。どんなに言葉を巧みに操っても、行動が伴わなければ、いずれは見透かされます。だからこそ、目の前の小さな仕事や人との約束を丁寧に守ることが大切です。遅刻しない、嘘をつかない、できないことはできないと正直に伝える、そして一度引き受けたことは最後までやり切る。この積み重ねが、未来の大きな信頼の礎になるのです。
経営者への教え
経営者にとって、この言葉はさらに重い意味を持ちます。経営とは人と人の信頼によって成り立つ営みです。社員が社長を信じ、顧客が会社を信じ、取引先が組織を信じる。信頼がなければ、いかに素晴らしい戦略を描いても、会社は動きません。経営者は日々、言葉で社員を導き、顧客に説明をします。しかし、どれだけ立派な経営理念を掲げ、熱心にスピーチをしても、経営者自身の行動がその言葉に沿っていなければ、社員も顧客もついてきません。
例えば「社員第一」と口にしながら、自らは社員の声を無視し、利益だけを追求するなら、その言葉は空虚な響きになります。「誠実な経営」を標榜しながら裏で不正を働けば、その矛盾は必ず明るみに出ます。反対に、経営者自身が率先して約束を守り、苦しい場面で責任を引き受け、社員と共に汗を流す姿を見せれば、その姿が言葉以上の説得力を持ちます。社員は社長の口先ではなく、その背中を見ているのです。
経営者が信頼を築くには、まず「自らを律する行動」が欠かせません。派手な言葉よりも、一貫した行いが信を生みます。会議での一言より、普段の姿勢、日常の態度が社員の心に残ります。経営はまさに「行動の哲学」であり、「実践の芸術」なのです。
言葉と行動の乖離がもたらすもの
歴史を振り返れば、言葉と行動が乖離した指導者はことごとく信を失っています。約束だけは立派に掲げながら、実際には民を苦しめた為政者は、やがて人心が離れ、国を傾けました。逆に、口下手であっても誠実な行動を貫いた人物は、長く人々に慕われ、尊敬され続けました。葉隠が武士道の中で「言葉ではなく行い」を重視したのも、武士が命を賭けて人を守る存在であったからでしょう。刀を掲げて「守る」と叫ぶより、実際に行動で守り抜くことこそが真の信頼を生んだのです。
現代においても同じです。会社においても、家庭においても、社会においても、信頼は約束された言葉ではなく、実際に果たされた行いによってのみ形づくられます。だからこそ、言葉と行動の乖離は最も避けなければなりません。たとえ小さなことであっても「言ったことはやる」「できないことは言わない」を徹底することが、信を育てる第一歩となります。
行動の重み
行動は言葉よりも重く、また残酷なほどに正直です。なぜなら行動はごまかせないからです。人は言葉では自分を飾ることができます。しかし、行動にはその人の本性が現れます。どれだけ立派な理念を語っても、日常の中で人を軽んじたり、約束を軽視したりすれば、その行動がその人を語ってしまいます。逆に、言葉下手で不器用であっても、誠実な行いを続ける人は、やがて人々から深い信を得ます。
若い人には、この事実を心に刻んでほしいと思います。派手な言葉や見栄えのするスローガンは、瞬間的には注目を集めます。しかし長い人生の中で本当に人を惹きつけ、支え合える関係を築くのは、飾られた言葉ではなく、地道な行動の積み重ねです。経営者には、社員や顧客が見ているのは「あなたの言葉」ではなく「あなたの行い」であることを忘れないでほしいのです。
今日からできる実践
では、具体的にどうすれば「行いによって信を得る」ことができるのでしょうか。特別なことをする必要はありません。まずは次のような小さな実践から始められます。
一つ、約束した時間を守る。
一つ、できないことを無理に引き受けず、誠実に説明する。
一つ、感謝を口にするだけでなく、態度で示す。
一つ、困っている人を見かけたら、黙って手を差し伸べる。
一つ、失敗を隠さずに正直に報告し、改善に努める。
これらは一見当たり前に思えますが、実際には多くの人ができずにいます。だからこそ、こうした行いを積み重ねる人は、自然と信頼を集めるのです。
信頼という無形の資産
最後に強調したいのは、信頼はお金や地位以上に価値のある無形の資産だということです。お金や地位は一時的に得られても、失うこともあります。しかし信頼は、一度築けば長く人を支えます。困難な時でも、信頼のある人には必ず助けが差し伸べられます。逆に信頼を失えば、どれほどの権力や財産を持っていても孤立します。
だからこそ、「信を得るは、言葉にあらず行いにあり」という教えは、若い人にとっても、経営者にとっても、人生を貫くべき普遍の真理なのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。言葉ではなく行いで信を得ることの大切さを、少しでも心に感じ取っていただけたなら幸いです。どうかあなたの行いが周囲に信を生み、その信がまたあなた自身を支える力となりますように。感謝を込めて。