「どんなときも 心だけは貧しくなるな」
相田みつを先生の作品には、誰もが一度は立ち止まって深く息を吸い直すような、あたたかい言葉があふれています。その中でも「どんなときも 心だけは貧しくなるな」という言葉は、時代や世代を超えて、多くの人の胸に静かに、しかし確かに響いていきます。
物質の豊かさと心の豊かさ
現代社会は、便利さや物質的な豊かさに満ちています。スマートフォンひとつあれば世界中の情報に触れられ、食べ物も着るものも、昔では考えられないほど手に入れやすくなりました。しかし、その一方で「心が貧しい」と感じる人は少なくありません。孤独、不安、他人との比較。物があふれていても心が満たされないのです。
相田先生は、この矛盾を鋭く、そしてやさしく見抜いていました。物質の豊かさと心の豊かさは決して同じではない。どんなにお金や地位を手にしても、人を見下し、感謝を忘れ、優しさを失えば、その心は貧しいのだと。だからこそ、「心だけは貧しくなるな」と呼びかけたのです。
心が貧しくなるとき
人は生きていると、思うようにいかないことがたくさんあります。仕事での失敗、友人との関係の行き違い、夢が叶わない悔しさ。ときには経済的に苦しい状況に追い込まれることもあるでしょう。そんなとき、人はつい心を閉ざし、暗く冷たい気持ちに支配されてしまいます。
心が貧しくなると、人を羨んだり、妬んだり、恨んだりします。自分より幸せそうに見える人を見て、どうして自分ばかり、と嘆くこともあるでしょう。しかし、相田先生はそうした気持ちの危うさを知っていました。心が貧しくなると、目の前にある小さな幸せに気づけなくなり、他者とのつながりを断ち切ってしまうからです。
だからこそ、どんなに苦しい時も「心だけは」守らなければならない。貧しくならない心とは、人を思いやり、感謝を忘れず、希望を失わない心です。
心が豊かであるとは
では、「心が豊かである」とはどういうことでしょうか。
それは、大きな財産や成功を持つことではなく、日常の小さなことに喜びを感じられる心です。朝の光を見て今日も生きていることに感謝すること。食卓に並ぶ一膳のご飯に「ありがたい」と思えること。人の優しさに触れて涙が出ること。こうした瞬間に心の豊かさは宿ります。
相田先生は、詩や書を通して繰り返し「ありのままの自分を受け入れる」ことを説きました。完全でなくてもいい。うまくできなくてもいい。そんな自分を認め、人にも優しくなれるとき、人の心は豊かになるのです。
苦しいときにこそ試される心
人の本当の姿は、順調なときよりも苦しいときに現れます。余裕があるときに優しくするのは簡単です。しかし、自分が苦しいときに他者に手を差し伸べることは難しい。だからこそ、そこでこそ「心の豊かさ」が試されます。
相田先生自身も、若い頃から詩や書の道を歩みながらも、決して順風満帆ではありませんでした。世間に受け入れられず、貧しさや孤独を抱え、何度も挫折を味わいました。その中で絞り出すように生まれた言葉だからこそ、「心だけは貧しくなるな」という一行には深い重みがあります。
苦しさの中で希望を失わず、心の灯火を消さないこと。それが人間らしく生きるということなのです。
今を生きる若者への贈り物
現代の若者たちは、常に比較や評価にさらされています。SNSでは他人の幸せそうな姿が映し出され、自分が劣っているように感じることもあるでしょう。努力しても報われないことがあり、夢を追いながら挫けそうになる日もあるでしょう。
そんなときこそ、相田先生の言葉を思い出してください。どんな状況にあっても、心の持ち方ひとつで人生の意味は変わるのです。人を妬むよりも応援する。失敗を嘆くよりも学びに変える。足りないものを数えるより、あるものに感謝する。そのような心の姿勢が、人生を力強く支えてくれます。
あなたが苦しんでいるとき、もし「心だけは貧しくならないように」と自分に言い聞かせられたら、きっと光が差し込みます。その光は小さなものかもしれませんが、確かにあなたを前へと導いてくれるのです。
結びに
「どんなときも 心だけは貧しくなるな」
この言葉には、人生を生き抜く上での究極の指針が込められています。物や名誉や地位は失われることがあります。しかし心の豊かさは、あなた自身が手放さない限り、誰にも奪われることはありません。
どうか忘れないでください。心が豊かであれば、人生のどんな瞬間も意味あるものに変わります。そしてその豊かさは、周りの人の心も照らす光となります。
相田みつを先生の書は、その言葉だけでなく、筆の力強さや余白の美しさにも魂が宿っています。ぜひ実際に書を目にして、その力を感じてほしいのです。言葉とともに流れる筆跡を見たとき、あなたの心に新たな勇気とやさしさが生まれるでしょう。