「育成とは、“信じることの連続”である。」
この言葉には、野村克也さんが監督として、また一人の人間教育者として生涯貫いた信念が込められています。彼は単に勝つことだけを目的にした監督ではありませんでした。もちろんプロ野球の世界ですから、勝敗は最も大きな評価軸になります。しかし、野村さんの根底には「人を育てることこそが、組織を強くする道である」という強い確信がありました。そしてその育成の根幹にあるのが「信じる」という姿勢だったのです。
1 信じることの難しさ
「信じる」というのは言葉にすれば簡単ですが、実際には非常に難しいことです。選手は試合に出れば失敗もします。監督やコーチの指導に耳を貸さないこともあれば、努力しているように見えないこともある。そんなとき、指導者の心には「本当に伸びるのだろうか」「任せて大丈夫だろうか」という疑念が浮かびます。信じ続けるということは、失敗や裏切りをも覚悟して受け止めることにほかなりません。
しかし野村さんは、自らの野球人生を通して「人は信じられることで伸びる」という事実を深く理解していました。無名選手でプロに入った自分が、努力を積み重ね、捕手としてチームの頭脳となり、やがて監督にまでなれたのは、周囲の信頼があったからです。だからこそ、どんな選手にも潜在能力が眠っていると考え、決して見捨てない姿勢を貫いたのです。
2 弱者を育てる哲学
野村さんは「弱者の戦略」を好んで語りました。巨人のように圧倒的な戦力を持つチームではなく、必ずしもスター選手に恵まれないチームを率いることが多かったからです。しかし彼はそこにこそ指導者としての喜びを見いだしました。
スター選手は放っておいても活躍する。しかし一見平凡に見える選手に、戦術を教え、役割を与え、自信を持たせて伸ばすことができれば、チーム全体の力は飛躍的に高まる。野村さんにとって育成とは、弱者に光を当て、その可能性を信じ抜くことでした。そして、その信念は実際に多くの選手を一流へと導きました。
古田敦也をはじめ、岩村明憲、城島健司、田中将大といった名選手たちは、野村さんの下でその才能を開花させました。彼らは一様に「野村監督は自分を信じてくれた」と語っています。信じてくれる人がいるからこそ、人は苦しい練習に耐え、失敗を乗り越える力を持つのです。
3 信じることがもたらす人間教育
野村さんが「信じることの連続」と語ったのは、野球選手の育成にとどまる話ではありませんでした。彼にとって野球は人間教育の舞台でもありました。勝利を目指す中で、選手は忍耐、努力、仲間との協力、責任感といった人間としての大切な資質を身につけていきます。
指導者が選手を信じることは、単にプレーの上達を促すだけではありません。その人間性を育み、自分を信じる力を引き出すことにつながります。野村さんは「自己肯定感を持てない選手は伸びない」と繰り返し語りました。だからこそ、監督が信じる姿を見せることで、選手自身が「自分はできる」と思えるように仕向けたのです。
人は信じられることで初めて、自らを信じる勇気を持ちます。逆に、疑われ続け、信用されなければ、自分の中に眠る力を信じることはできません。野村さんが言う「育成」とは、この人間的な成長を含んだものであり、その核心は「信じること」だったのです。
4 信じることが連続である理由
なぜ「信じることの連続」なのでしょうか。信じるという行為は、一度きりでは効果を発揮しません。人は一度の失敗で自信を失うことがあります。挫折に出会うたびに「自分はだめだ」と思ってしまう。そんなとき、指導者が「お前ならできる」と繰り返し信じてくれることが、立ち直るきっかけとなります。
つまり育成は、一瞬の信頼ではなく、繰り返しの信頼によって成り立ちます。信じる姿勢を一貫して示し続けることで、選手は安心して挑戦でき、失敗から学び、成長することができるのです。
これは野球に限らず、教育や家庭、職場などあらゆる場に通じる真理です。子どもを育てる親、社員を育てる上司、後輩を導く先輩。人を育てる立場にある人は、何度も何度も「信じる」という行為を重ねなければなりません。そこに忍耐があり、愛情があり、そして人間教育が生まれるのです。
5 現代の若者へのメッセージ
現代社会は成果主義が色濃く、人の価値が結果で測られる場面が多くあります。失敗すると、すぐに切り捨てられてしまう。そんな風潮の中で、自分を信じてくれる存在がいかに大切かは計り知れません。野村さんの言葉は、今を生きる若者への大きな励ましでもあります。
「誰かに信じてもらった経験があるだろうか」
もしそう問われて、思い浮かぶ人がいなかったとしても、落胆する必要はありません。野村さんが言いたかったのは、「まず自分を信じることを学べ」ということでもあるからです。そして、自分を信じられるようになれば、やがて他者を信じる力も生まれます。信じるという行為は、連続して続けるうちに人間の可能性を広げていくのです。
6 信じることが未来を創る
最後にもう一度、野村さんの言葉を振り返ってみましょう。
「育成とは、“信じることの連続”である。」
これは指導者だけでなく、人生を生きるすべての人に通じる真理です。自分を信じ、仲間を信じ、家族を信じる。その積み重ねが、人を育て、組織を育て、社会を豊かにしていきます。信じることをやめた瞬間、育成は途切れ、可能性は閉ざされます。しかし、信じ続ける限り、そこには成長と未来があります。
野村克也さんの残した言葉は、野球場を越えて、私たち一人ひとりの生き方に問いかけているのです。