慣れは油断を生む、常に初心を忘るな
「慣れた頃こそ危険、初めの謙虚さを大切にせよ。」という葉隠の教えは、現代を生きる私たちにとっても非常に重要な戒めとなっています。特に若い世代や組織を率いる経営者にとって、この言葉は日々の行動に大きな指針を与えてくれるでしょう。
何かを始めるとき、誰しもが多少の不安を抱きながらも、真剣に目の前のことと向き合い、必死に学び、注意深く状況を見極めようとします。仕事でも勉強でも、新しい環境に入ったばかりのころは「早く一人前にならなければ」「迷惑をかけるわけにはいかない」という気持ちが自然と生まれ、真剣さや緊張感が身を引き締めます。その姿勢が人としての成長や信用をつくっていくわけですが、時間が経ち、一定の成果が出始めると、多くの場合その初心は少しずつ薄れていきます。「これくらいなら大丈夫だ」「以前もこのやり方でうまくいった」といった考えが心のどこかに住みつき、ほんのわずかな油断が生まれます。その油断が重なっていくと、やがて判断力が鈍り、細部の確認を怠り、周囲への感謝や謙虚さを忘れてしまいます。葉隠はその危険を誰よりも知っていたからこそ、「慣れこそ油断の入り口であり、常に初心に立ち返れ」と強く説いたのです。
この言葉の真価は、単に「気をつけよ」という程度の助言にとどまりません。「人は知らず知らずのうちに慢心する生き物である」と認めたうえで、その慢心を防ぐために常に心を磨き続けなければならないという、生き方そのものへの問いかけなのです。たとえば剣術の修行では、技を覚え始めた時期よりも長年稽古を積んだ時期のほうが怪我をしやすいと言われます。それは技量そのものではなく、「自分はもうできる」という心の油断が身体の隙を生むからです。現代のビジネスにおいても同様です。市場の動向を読み誤るのは、知識の不足よりも「自分は理解している」「これまで成功してきた」という思い込みによることが多いのです。
若い人にとっては、今まさに成長の階段を上っている最中かもしれません。新しい知識や経験を得るたびに自信がつき、できなかったことができるようになることは大きな喜びです。そしてその喜びがやがて誇りとなり、自分の背中を押してくれます。しかし、その誇りを「自分はもう十分に知っている」という錯覚に変えてしまえば、そこが成長の終わりになります。初心とは、ただ「何も知らない頃の気持ち」ではなく、「もっと学ぼう」「もっと深く理解しよう」という真摯な姿勢そのものです。成功を重ねたからこそ、より深いレベルで学び続ける心を持つことが大切なのです。
一方で経営者やリーダーにとってこの言葉はさらに重い意味を持っています。組織が大きくなり、成果が出てくると、多くの部下や取引先がその実績を称賛してくれるようになります。しかし、その称賛は時に耳心地よく、慎重さや謙虚さを奪います。リーダーが油断すれば、組織全体にその空気が広がり、やがて大きな失敗につながります。常に初心を忘れないということは、自分自身の立場や過去の功績にとらわれず、「いま自分は何を学び、今の状況にどう向き合うべきか」を問い続ける姿勢に他なりません。部下の話に耳を傾け、現場の小さな変化にも敏感になり、自らが学ぶ姿勢を示し続けること。それが組織全体の油断を防ぎ、高い緊張感と向上心を保つことにつながっていくのです。
最後にもう一度この言葉に立ち返ってみましょう。
「慣れは油断を生む、常に初心を忘るな」
これは一瞬の気の緩みを戒めるだけではなく、人生を通じて自らの心を鍛え続けよという厳しくも温かな教えです。どれほど経験を積んでも、どれほど評価されても、自分はまだ道の途中にいる。そう思える人こそ、真に成長し続ける人であり、周囲に信頼される人です。常に「初めて出会った人に接するように」「初めて学ぶつもりで学び続けるように」日常の一つ一つを大切に積み重ねていくこと。それが、どの時代を生きてもぶれることのない強さと品格を育ててくれるのです。
今この瞬間も、あなたの目の前には新しく学べることが必ずあります。その小さな学びの積み重ねこそが、未来を切り拓いていく大きな力となるのです。