渋沢栄一が若者に遺した言葉、「自分の利ばかり求めては、真の幸福は得られない。」この短い一言には、人としてどう生きるか、何を大切にして日々を送るべきかという深い人生の哲理が込められています。


渋沢栄一は、明治から大正・昭和初期にかけて活躍した実業家であり、同時に「日本資本主義の父」とも称される思想家でした。彼の功績は、五百を超える企業や団体の創設・育成に関わったことにとどまりません。彼が特に大切にしたのは、「道徳と経済の調和」でした。つまり、ただ利益を追い求めるのではなく、人としての道を外さず、社会や人々の幸せを考えながら事業を行うべきだという思想です。


この言葉の背景にも、まさにその哲学が通底しています。現代の若者たちは、激しい競争の中で生きています。SNSでの承認欲求、就職活動での競争、資本主義の速さについていこうとする焦り。そのような環境の中で、自分の利益や得だけを求めてしまうことも少なくありません。より多くの収入、より良いポジション、より注目される存在になろうと、他人との比較にばかり目が向いてしまう時代です。


しかし、渋沢はそこに警鐘を鳴らします。「自分の利ばかり求める」という生き方は、短期的には成功するかもしれない。しかし、それは真の幸福とはほど遠いのだと。なぜなら、利己的な行動の果てに待っているのは、孤独や不信、空虚さであることが多いからです。


人は誰しも、自分が幸せになりたいと思うものです。しかし、その「幸せ」とは何かと問うたとき、それは単に物質的な豊かさや地位、名誉ではないのです。人は人とつながり、人に感謝され、人を支える中でこそ、自分の生きる意味を実感し、心からの充実感を味わうことができます。


渋沢栄一は、自ら多くの富を築いた人物でありながら、それを自分のためだけに使うことはしませんでした。病院、教育機関、慈善団体の支援など、多くの公益活動にも力を注ぎました。これは、自分のために生きるのではなく、他人や社会のために生きることの尊さを知っていたからです。


このような生き方は、経済的に豊かな人だけができることではありません。たとえば、日々の職場で、同僚を思いやる言葉をかけること。家庭の中で、家族を気遣う行動をとること。困っている友人に手を差し伸べること。小さなことでも、人のために動くという姿勢は、誰にでもできるのです。そして、その積み重ねが、自分の心を豊かにし、周囲との信頼を育て、真の幸福へとつながっていくのです。


自分の利益だけを追い求める人は、周囲からの信頼を失いやすいものです。損得でしか人を見ない人には、長く付き合いたいと思う人が集まりません。逆に、自分の利益以上に、他人のことを考えられる人には、自然と人が集まり、信頼が築かれ、その人の周りには温かな空気が流れるようになります。


渋沢栄一の言葉は、そのような人間関係の大切さも教えてくれています。経済活動の本質は、突き詰めれば「人と人との信頼」なのです。どんなに素晴らしいアイデアがあっても、どんなに高い能力があっても、信頼がなければ物事は前に進みません。自分の利を最優先する行動は、結局はその信頼を壊すことにつながるのです。


また、渋沢は「論語と算盤」という著作の中で、道徳と利益の調和の重要性を繰り返し説いています。「算盤」は利益を象徴しますが、「論語」は倫理や人間としての在り方を意味します。つまり、利益は大切だが、それを倫理の上に築かなければならないというのです。これこそが、彼の生涯を通じての信念でした。


若者にとって、これからの人生をどのように築いていくかは大きなテーマです。そして、成功したい、豊かになりたいという思いを持つことは、まったく悪いことではありません。しかし、その過程で「自分の利ばかりを求める」ことがないように、渋沢はあえてこの言葉を残しました。自分の幸せと同時に、他人の幸せを願う心を持ち続けてほしいという願いが込められているのです。


自分の得だけを考えて行動すると、一見合理的に思えるかもしれません。しかし、長い目で見たとき、信頼され、慕われ、尊敬される人間になれるかどうかは、そこに「他者へのまなざし」があるかどうかで決まります。真の幸福とは、物の豊かさではなく、心の満ち足りた状態です。そのためには、人のために力を尽くすこと、人とともに歩むことが必要なのです。


渋沢のこの一言は、若者たちに対して「自分中心の考え方を超えて、人のために何ができるかを考えよ」と語りかけているようです。そしてそのときこそ、自分自身もまた、かけがえのない幸福に包まれるのだと静かに教えてくれます。


今の時代だからこそ、この言葉は深く心に響きます。成功するために、豊かになるために、競争に勝ち抜くために、そんな思いが強くなる世の中にあって、「本当の幸せは、自分だけの利益を追っても得られない」という真実は、私たちにとって大切な指針です。


渋沢栄一の言葉を胸に、自分だけでなく誰かのために生きる。その生き方が、まわりまわって自分をも幸せにしてくれる。そのことを忘れずに、これからの人生を歩んでいけたなら、それこそが本当の意味での豊かさであり、真の幸福ではないでしょうか。


渋沢栄一さん、時代を超えて伝えてくださった大切な教えに、心より感謝いたします。