人の生き様、その本質を問う言葉として、『葉隠』の一節「覚悟の程が人の値打ちを決める」は、今もなお鋭い光を放っています。この一言に込められているのは、どれほどの覚悟をもって日々を生き、志を貫いているかが、その人の本当の価値を決めるという厳しくも真実に満ちた教えです。

覚悟とは、単なる意気込みではありません。気合いや根性だけで語られるものではなく、自分の生き方を自ら定め、逃げずに受け止める精神の核です。仕事においても人生においても、人は困難に出会う場面が幾度となく訪れます。そのとき、逃げることもできる。言い訳することもできる。誰かのせいにして背を向けることもできる。しかし、そこで踏みとどまり、自分の責任と意志で選びとり、自らの行動にすべてを引き受ける姿勢こそが「覚悟」なのです。

かつて武士たちは、「いざというときには命を賭して主君のために働く」という覚悟を持って生きていました。戦国の時代、命は非常に軽く、明日生きている保証など誰にもありませんでした。そんな中で武士たちが心の支えとしていたのが、「死を覚悟することによって、むしろ日々の生が鮮やかになる」という考え方でした。『葉隠』の精神も、その上に成り立っています。

では、現代に生きる私たちはどうでしょうか。死を前提にした覚悟を求められることは、そう多くありません。けれど、だからこそ「覚悟」が軽んじられているとも言えるのです。安易に転職する。嫌なことがあると逃げる。不安があると何も行動せずにとどまる。そんな選択が蔓延する今、真の覚悟を持って自分の人生を歩もうとする人は少数派かもしれません。

しかし、覚悟がある人は、そこに一本筋の通った美しさと迫力を備えます。経営者であれ、若者であれ、その覚悟は人に伝わり、信頼を得ます。覚悟があるからこそ、何が起きても自分を見失わず、物事に全力を尽くすことができる。そして、覚悟を持つ人は人に勇気を与え、周囲の人々の心を動かすのです。

たとえば、ある若き起業家が、大きなリスクを伴う決断を前にしたとき、もし彼が「失敗しても全部自分で責任を取る」「成功するまで決して逃げない」と覚悟を決めたならば、周囲の協力者や仲間もその覚悟に心を動かされ、応援しようと動き出します。逆に、「とりあえずやってみて、ダメだったら辞めよう」というような姿勢では、信頼も集まらず、いざという時に孤立します。

覚悟とは、あらかじめ自分の限界や犠牲を計算して、それでもなお前に進む決意です。リスクを理解したうえで、それを受け入れる姿勢。つまり、成功も失敗も、自分の中にすでに取り込んであるという状態です。だからこそ、迷いが消え、強さが生まれます。

若い人にとっては、「覚悟を決める」ということ自体が、まだ抽象的に思えるかもしれません。進学や就職、結婚、独立、あるいは夢に向かって歩み始めるとき、多くの選択肢が目の前に広がっている中で、ひとつを選び、他を捨てるということは怖いことです。けれど、本気で何かを成し遂げたいと思うならば、いつかどこかで決断し、逃げ道を断たなければなりません。逃げ道を残したままでは、人は本当の力を発揮できないからです。

経営者であれば、より深くこの言葉の意味を噛みしめるべきです。企業を率いる立場である以上、自分の決断が多くの人の生活や人生に影響を及ぼします。利益と信頼の板挟みになる場面も多くあるでしょう。そんなとき、自らの信念と覚悟をどこまで貫けるか。それが経営者としての「値打ち」を決定づけます。

また、覚悟は一度決めたら終わりではありません。日々試されるものです。朝、仕事に向かうとき。困難な交渉の席に着くとき。信念と現実がぶつかるとき。そのすべての場面で、私たちは「自分はどうするか」を問われているのです。覚悟とは、特別な瞬間にだけ求められるものではなく、日常の中に生きるもの。日々の姿勢が、あなたの価値を育て、他者の心を動かすのです。

最後に、この言葉を今を生きるすべての人に贈りたいと思います。

どんな職業であれ、どんな立場であれ、人は一度きりの人生を生きています。その中で、自分がどう生きるか、何に命を使うか、それを自分で定めることができる。そして、それを決めたときこそ、本当の意味での「自分らしさ」が形を持ち始めるのです。

覚悟の程が人の値打ちを決める。

この言葉は、ただの忠告ではなく、生き方そのものへの問いかけです。覚悟を決めて生きる。その覚悟を支えるのは、志です。志のない覚悟は空虚であり、志があるからこそ、覚悟は力となります。

だからどうか、あなた自身の志を見つめてください。そして、それにふさわしい覚悟を自らの中に育ててください。その覚悟こそが、あなたという人間の価値を、静かに、しかし確実に高めていくのです。