「継続こそ力なり。志を変えるな。」

この言葉に込められた渋沢栄一の想いは、時代を超えて多くの若者たちの胸に刻まれるべきものである。時代がどれほど移り変わろうとも、「志を抱き、それを貫く力」が人生を支える最大の原動力であることに変わりはない。

渋沢栄一は、日本近代資本主義の父と称されるほど多くの企業や社会事業を興したが、その成功の根底にあったのは、まさにこの「継続」と「志」の力だった。目の前の困難に打ちのめされそうになったとき、成果が見えず心が折れそうになったとき、何度も自らに問いかけただろう。自分の志は何か、そのために自分は今何をしているのか、と。

若者の多くは、時に焦る。夢が思うように進まない、自分の選んだ道が正しいのか確信が持てない。他人と比べて自分の遅れを感じ、自信を失ってしまうこともある。しかし、渋沢がこの言葉で伝えようとしているのは、「結果は急がなくていい。志さえ変えなければ、続けることが必ず自分を強くする」という真実だ。

継続とは、ただ同じことを繰り返すことではない。成長しながら、工夫しながら、自分自身を磨き続ける姿勢そのものである。渋沢自身も、若き日に武士としての道を捨て、幕府に仕え、そして明治という新しい時代の中で実業家としての道を切り拓いた。彼の人生は決して一本道ではなかった。幾度となく時代の波に翻弄され、それでも一貫して「日本という国を豊かにし、人々の暮らしを良くする」という志を胸に歩み続けた。

その「志」があったからこそ、継続できた。人は志を持っていないと、ちょっとしたことで道を見失ってしまう。自分が何のために努力しているのかがわからなくなれば、やがてその努力そのものが苦しみになる。逆に、明確な志があれば、困難は乗り越えるべき壁として目の前に立ちはだかる。それは挑むべき価値のある壁であり、自分を高めてくれる試練となる。

たとえば、若い起業家が夢を持って事業を始めたとする。最初の一年、まったく利益が出ないかもしれない。周囲からの理解も得られず、孤独を感じる日々が続くかもしれない。そんなときに問われるのは、成果ではなく「志」である。なぜ始めたのか、何を成し遂げたかったのか。そこに立ち返り、自分の信じる道を継続することで、その人は本物になっていく。

渋沢が生きた時代もまた、不安と混乱に満ちていた。幕末から明治という激動の時代は、価値観が大きく揺らぎ、人々の生き方も大きく変わらざるをえなかった。その中で彼は、新しい時代に必要なものは「道徳と経済の両立」だと信じ、何百という企業の創設に関わる傍ら、教育や福祉にも力を注いだ。目先の利益にとらわれず、長い目で見た国づくりを志としたからこそ、その活動には揺るぎない一貫性があった。

現代を生きる私たちも、あまりにも情報が多く、選択肢が多すぎる世界で揺れ動いている。気づけば目先の流行や評価に翻弄され、自分の進むべき道が分からなくなる。そんな時代だからこそ、渋沢のこの言葉は真実の重みをもって響いてくる。

「継続こそ力なり。」この一言は、まるで一本の柱のようだ。人生という家を建てるには、しっかりと地に足をつけた土台と柱が必要だ。すぐに結果を求めるのではなく、日々を積み重ねていく。地味で目立たない努力の先に、揺るぎない力が生まれる。人は、一年で偉大になるのではない。十年、二十年かけて、積み上げたものが本当の力となる。

そして「志を変えるな。」という言葉には、ただ頑固になれという意味ではない。人生の中で選ぶ道は変わるかもしれない。職業が変わることもある。人間関係が変化することもある。しかし、根っこの志──自分はどんな人間でありたいのか、どんな価値をこの社会に提供したいのか──その信念は簡単に揺らいではいけない、ということだ。

志とは、心の灯火である。どんなに暗くなっても、その小さな灯火が灯っていれば、人は進む方向を見失わない。反対に、志を見失えば、どんなに明るく見える道でも、それは迷路に過ぎない。成功しても満たされず、得たものの意味がわからなくなる。

だから、若者にこそ伝えたい。夢に近道はない。一歩一歩の継続こそが、君の力になる。時に立ち止まってもいい、迷ってもいい、悩んでもいい。しかし、自分の志だけは、手放さないでほしい。それは君が君であるための大切な軸だ。そこにこそ、渋沢栄一が一生をかけて伝えたかった真理がある。

もし今、君が何かに挑戦しようとしているなら、まず志を明確に持ってほしい。そしてそれを大切に、今日も一歩進んでみてほしい。積み重ねることで、かならず景色は変わる。そして気づくだろう。志を持ち、継続してきた自分こそが、最も信頼できる存在であることに。

渋沢栄一の言葉は、今を生きる私たちに問うている。

「君の志は何か。その志を、どれほどの覚悟で守り続けるつもりなのか。」

その問いに答えられる人生を、私たちは歩んでいきたい。