「怒鳴るのは、本気で向き合っている証拠だ」
この言葉を語ったのは、熱血漢として知られる野球人、星野仙一である。中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督として、また日本代表の指揮官としても活躍し、勝利に対する強烈な執念と、選手たちへの深い愛情をもって、数々の名場面を残してきた。だが彼が球場で見せた怒声や激昂の裏には、表面だけでは計り知れない「人を育てる覚悟」と「本気でぶつかる勇気」があった。
「怒鳴るのは、本気で向き合っている証拠だ」というこの言葉には、星野仙一という人間の、指導者としての真髄が凝縮されている。ただ感情をぶつけているのではない。ただの威圧ではない。本気で選手と向き合い、本気で勝利を目指す中で、妥協を許さず、曖昧なままにしない。その姿勢が、怒鳴るという行為に表れていたのだ。
星野仙一は決して、誰かを傷つけるために怒鳴ったのではない。彼が怒鳴る相手は、可能性があると信じた選手だった。自分の殻を破りきれない若者、実力はあるのに甘えが残る選手、勝負どころで気持ちが逃げ腰になってしまう人間。そういう選手に対してこそ、星野は厳しく、そして真剣に向き合った。そこにあるのは、「お前ならもっとできる」という信頼であり、「中途半端で終わるなよ」という願いであり、「本気で勝ちたいんだ」という情熱だった。
世の中には、他人に無関心な指導者もいる。何をしても褒めるだけ、怒らないだけ。だがそれは時として、指導を放棄していることでもある。心の底からその人の成長を願い、未来に責任を持とうとするなら、時にはぶつかり合いも必要となる。本音で言い合う勇気、嫌われることを恐れない強さが求められる。星野仙一は、そうした指導の厳しさを、覚悟をもって引き受けていた。
現代では「怒鳴る」という行為が敬遠される時代になった。パワハラ、感情的な支配、精神的な萎縮。確かに、怒鳴ることにはリスクがあるし、やり方を間違えれば逆効果になりうる。だが星野が示したのは、そうした浅薄な怒りとは本質的に異なる「魂のぶつかり合い」であった。選手を信じ、チームを信じ、自らも覚悟をもって感情をむき出しにする。その不器用でまっすぐな姿に、どれだけの若者が奮い立ち、変わっていったことだろう。
東北楽天を日本一に導いた2013年。そのときのチームには、被災地・東北の希望を背負う重圧があった。星野は言葉で励まし、態度で鼓舞し、そして時に怒鳴りながら、選手たちと心をひとつにして戦った。「勝つことが、被災地への恩返しだ」と口にしたその眼差しの奥には、目の前の選手たちを「一人の人間として信じ抜く」指導者の矜持があった。本気で向き合うとは、そういうことなのだ。
怒鳴るという行為には、指導者自身にも相当の覚悟が求められる。嫌われるかもしれない、反発されるかもしれない。それでもなお、誤解されても構わないという気持ちで、真正面からぶつかる。その姿は、どこか親が子を叱る姿にも似ている。愛があるからこそ、目をそらさず、手を抜かず、声を張り上げる。星野仙一の怒鳴り声は、まさに「本気の愛情」の表れだった。
星野が残したもうひとつの名言に、「選手を信じていない監督に、選手はついてこない」というものがある。怒鳴っているときも、そこには選手への信頼があった。厳しさの根底にあるのは、無関心ではなく、むしろ強烈な関心と責任感だった。星野が怒鳴った選手たちは、やがてその真意を知り、心からの感謝を口にしている。「あのときの一喝がなければ、自分は変われなかった」と語る選手が多いのは、決して偶然ではない。
私たちは時に、人と本気で向き合うことを避けてしまうことがある。気まずくなりたくない、波風を立てたくない、面倒を避けたい。だがそれは、結果として相手を信じていないということにもつながる。人と人との関係において、「本気で向き合う」ということは、時に優しさ以上の厳しさを伴う。星野仙一のように、怒鳴る勇気をもって、相手の人生に真正面から関わる姿勢こそ、真の指導者の在り方ではないだろうか。
本気で向き合うから、時に涙を流すこともある。本気で向き合うから、悔しさや怒りも生まれる。本気で向き合うから、最後に「ありがとう」と言ってもらえる関係が築ける。星野仙一が生涯かけて示してくれたのは、そういう人間関係の尊さであった。
「怒鳴るのは、本気で向き合っている証拠だ」
この言葉に込められた情熱、責任、愛情を、私たちは今あらためてかみしめるべきだろう。時代が変わっても、人を育てるという営みの本質は変わらない。本気の言葉は、必ず届く。本気の姿勢は、必ず伝わる。
星野仙一さん、あなたの熱い魂と言葉に、心から感謝します。多くの人々に勇気と希望を与えてくださったことに、深く、深く御礼申し上げます。