「人生を豊かにするのは、お金よりも発見と工夫だった」――『格安宿に泊まる技術』を読んで
旅が好きだった。けれどいつの間にか、「お金がかかるから」「時間がないから」「歳だから」と、出かける理由よりも、出かけない理由を並べるのが上手くなっていた。そんな私にとって、『格安宿に泊まる技術』というタイトルは、まるで心の奥にしまっていた何かをコンコンとノックしてくるような響きだった。
ページを開いた瞬間、そこにあったのは、豪華なホテルでもなければ、流行のグランピングでもない。けれど、どのページにも確かに「人の温かさ」と「旅の喜び」があった。読んでいくうちに、気づけば自分がそこに泊まり、自分の足で町を歩き、見知らぬ人との小さな会話に心が和らぐ光景を思い描いていた。
この本は、ただ安い宿を紹介するための「お得ガイド」ではない。もっと本質的で、もっと大切なことを教えてくれる。「格安」であることは、選択肢を狭めることではなく、むしろ広げることなのだと。そしてそこには、現代人が忘れがちな“工夫する楽しさ”と“人との出会いのありがたさ”が息づいている。
たとえば、著者たちが紹介する一軒の古びた宿。その部屋に高級感はない。けれど、その宿を選んだ理由や、そこで交わした一言一言が生き生きと描かれている。心に残ったのは「値段の安さ」ではなく、そこで得た体験の密度だった。何気ない朝食の味、隣の部屋の老夫婦との世間話、女将さんの気配り――すべてが、旅を「思い出」ではなく、「人生の一部」に変えていく。
面白いのは、格安宿という選択肢を通して、私たちがどう「生き方」を選ぶかまで問いかけられていることだ。便利で快適なだけの旅ではなく、ちょっと不便だけど心が満たされる体験。高級なものを追い求めるのではなく、自分の感性で価値を見出す力。まるで人生そのものに重なるような話だと思った。
「お金がないから旅ができない」と思っていた自分が恥ずかしくなった。本当は、旅に出ることを躊躇する理由を自分でつくっていただけだった。工夫をすれば行ける、少し視点を変えれば楽しめる――その発想が、読んでいるうちに少しずつ自分の中に根付いてくる。
もうひとつ、強く心に残ったのは「宿は目的地ではなく、旅の途中にある大切な縁」だという感覚。格安宿だからこそ、そこに“人の手”が感じられる。便利さや機能性が最優先される現代において、そこには忘れかけていた人の温もりがあった。今までホテル予約サイトの星の数ばかりを気にしていた自分にとって、それはまるで「本当に大切なのは、星の数ではなく、人の声なんだよ」と語りかけてくるようだった。
この本を読み終えた後、不思議なことに「どこかに行きたい」という衝動よりも、「もっと暮らしを大切にしたい」「身近な人と旅の話をしたい」という気持ちが湧いてきた。旅は遠くに出かけることではない。いつもの生活から一歩踏み出すこと、日常に少しの非日常を取り入れること――そんな意識の変化が、この本から得た一番の贈り物だったのかもしれない。
また、全国各地の宿の紹介には、それぞれの土地の息づかいや背景が感じられた。華やかな観光地の裏側にある、小さな町の灯り。ふと通りかかった神社、商店街、港、畑――格安宿を拠点に旅をすることで、そうした“観光地ではない風景”に出会えるのだ。これは、むしろ贅沢な旅の在り方ではないか。
そして読後、すぐにネットでいくつかの格安宿を調べてみた。レビューや写真を見ながら、「ここなら行ける」「この町、知らなかったけど良さそう」と、すでに旅は始まっていた。お金の多寡ではなく、心の余白こそが旅の原動力なのだと実感した。
今、旅に出ることをためらっている人がいるなら、ぜひこの本を手に取ってほしい。年金暮らしで節約を意識している人も、若者で予算に限りがある人も、忙しい日々に疲れてしまった社会人も――誰にとっても、「旅は手の届くところにある」ということを、優しく、力強く教えてくれる本だ。
「旅は高くなくていい。遠くなくてもいい。ただ、心を動かすものであってほしい。」
そんな願いに、そっと寄り添ってくれる一冊である。