タイトル:
闇と光が交錯する時、歴史は語りかける


街角の古びた図書館の扉を、今すぐ押し開けたくなる——エリック・ラーソンの『悪魔と博覧会』を読み終えたとき、私はそんな衝動に駆られていた。未知の街へ旅立ちたくなるような感覚、あるいは誰かとすぐにでもこの本について語り合いたくなる衝動。心の奥深くでなにかが音を立てて目覚める。これが、歴史ノンフィクションを読むということなのだろうか?

『悪魔と博覧会』は、19世紀末、シカゴで開催された万国博覧会(コロンブス博)の栄光と、その陰で静かに暗躍していた連続殺人犯H.H.ホームズの物語を、綿密な取材と文学的な筆致で交錯させた驚異の一冊だ。ただの事件記録でもなければ、単なる万博の記録でもない。美しさと狂気、希望と絶望、創造と破壊という正反対の要素がページごとに絡み合い、まるで一枚の精巧な絵画のように読者の眼前に広がってくる。

この本の何がそんなに心を打つのかといえば、それは「人間という存在の可能性と恐ろしさ」が、これほどまでに明快に、かつ深く描かれているからだ。読めば読むほど、シカゴ万博を実現させた男たちの情熱と執念が、現代を生きる私たちの背中を強く押してくる。厳しい気候、予算の不足、技術的困難、政治的な圧力。それらをすべて跳ねのけ、「世界を驚かせる」ことに人生をかけた人々。建築家のバーンハム、彼の部下たち、労働者たちのひたむきな努力は、どこか現代の私たちにも通じる、普遍的な勇気の物語だ。

一方で、その裏で静かに進行していたホームズの犯行は、まるで文明の影を象徴するかのようだ。文明が光を放てば放つほど、影は濃く、深くなる。ホームズがいかに人を騙し、奪い、消していったのか。その過程は戦慄を覚えるが、不思議と手を止めることができない。おそらくそれは、ラーソンの筆が残酷さを誇張せず、ただ冷静に、しかし人間の本質に迫るような描き方をしているからだ。ホームズという存在は、恐怖の対象であると同時に、「なぜ人はここまで堕ちるのか」という問いを読者に投げかけてくる。

驚くべきことに、この二つの物語は互いに独立しているようでいて、最後にはひとつの大きな構図の中に組み込まれていく。都市という巨大な器に、創造と破壊という対極の人間性が同時に注ぎ込まれるさまは、まるで運命の皮肉のようだ。それは、ただシカゴだけの物語ではない。東京も、ニューヨークも、ベルリンも、現代のあらゆる都市が抱える「進歩の影」でもあるのだ。だからこそ、この本は遠い過去の物語でありながら、今日の現実にも鋭く切り込んでくる。

読書を終えたあと、私は不思議な熱に包まれていた。「自分もなにかをつくりたい」と思わされたのだ。壮大な博覧会でなくていい。誰かを少しでも励ますような言葉を、行動を、目の前の現実にひとつ加えていきたい。そんな気持ちにさせるのが、この本の最大の魔力かもしれない。

そして、今、この文章を読んでいるあなたに言いたい。もしあなたが、歴史に興味があってもなくても、ミステリーが好きでもそうでなくても、とにかく一冊の本に心を震わせたいと思うなら、この『悪魔と博覧会』はその願いに応えてくれるだろう。感動とは、ただ泣けることではない。立ち上がらせる力のことだ。

どうか今すぐ、近くの図書館の蔵書検索をしてみてほしい。ページの一枚目を開いた瞬間、あなたも私と同じように、歴史の中で脈打つ人間の力に、きっと心を奪われるはずだ。