『ザイム真理教』 


「これは、笑っていいのか、それとも泣くべきなのか」──読後、そんな問いが頭を離れなかった。適菜収の『ザイム真理教』は、単なる批評や風刺にとどまらない。これは、私たちが無自覚に信じてしまっている「空気」の正体を、執拗なまでに、しかし痛快に解体していく一冊だ。


「ザイム」とは、もちろん「財政」のことだ。しかしここで語られるのは、お金の話だけではない。それは、日本という国が、どのようにして「財政健全化」や「自己責任」という言葉のもとに、思想や価値観を一点に集中させ、そして多様性や寛容さを削ぎ落としてきたか、という深い問いかけである。


適菜収の筆致は、時に容赦がない。だが、それは読者を打ちのめすためではない。むしろ、目を覚まさせようとしているのだ。巧みに引用される哲学者の言葉や、時折交えるユーモアは、重いテーマを扱いながらも、読者を置き去りにしない。ページをめくるたびに、自分がどれだけ思考を放棄していたかを思い知らされる。それは決して気持ちのいい経験ではないが、知的な刺激に満ちている。


特に印象的だったのは、「宗教」としての新自由主義を描く章だ。「信じること」に理由は必要ない。だからこそ、それは疑いの対象にもなりにくい。そして人々は、まるで教義を唱えるように「増税は仕方がない」「国の借金が大変だ」と繰り返す。だが、本当にそうだろうか? 私たちは何を根拠に、それを信じているのか? 適菜氏は、そうした「思考停止」への警鐘を、ユーモラスに、しかし鋭く鳴らしている。


一方で、本書には読後の救いもある。それは、著者が単に批判するだけで終わらず、読者に「考える楽しさ」や「異なる視点を持つ勇気」を与えてくれるからだ。痛烈な風刺の中にも、著者の誠実な願い──もっと自由に、もっと柔軟に世界を見てほしいという思いが込められているのを感じる。


『ザイム真理教』を読んで、「もっと知りたい」「もっと考えたい」と心から思った。これは、決して一度読んで終わりの本ではない。むしろ、社会のニュースや会話の中で、ふとした瞬間にこの本の言葉がよみがえってくる、そんな存在だ。


適菜収という作家が持つ知性と皮肉の力、それに翻弄されながらも、私は確かに「楽しい読書体験」をした。そして、読み終えた今、自分が少しだけ変わったような気がしている。物事を疑うこと、考えること、それがどれほど豊かな行為であるか──それを教えてくれる一冊だった。


ぜひ、多くの人に読んでほしい。そして、身の回りにある「教義」に、ちょっとだけ疑問を持ってみてほしい。『ザイム真理教』は、そんな一歩を後押ししてくれる、力強い知の書である。