『独裁』と『盲従』が生み出す『不幸』の背景に
『新自由主義』が薄笑いを浮かべている。
『独裁』とは、日大アメフト部監督(だった?)内田正人氏。
『盲従』とは、日大アメフト部の反則タックルをした選手を指している。
日大アメフト部内田正人監督の雲隠れの理由!
『盲従』とは、日大アメフト部の反則タックルをした選手を指している。
日大アメフト部内田正人監督の雲隠れの理由!
そっくりだと間接的に批判!
https://entert.jyuusya-yoshiko.com/nitiame-abe/
なぜ、『独裁』と言えるかと言えば、内田正人氏は、日大アメフト部の監督だけではなく、日本大学の常務であり、人事部長だからだ。特待生奨学金を与えられ授業料免除された学生がもしも、反則プレーを指示されたならば、そこに善悪の自己判断など一切なく『盲従』するだろうと推定できる。
「関西大学の選手を潰してこい(ケガをさせて試合に出れないようにしろ)」と内田正人監督は指示をしたか、否かは5月24日に文章で出す。今、テレビカメラの前では控えさせていただく。(明言しない)とは、政治的介入が可能でウソが突き通せるか、まだ判断が出来ないので、現時点では「相手選手を潰してこい!と指示したか、指示しないか言えません」と聞こえます。
テレビカメラに映る内田正人氏の表情には、謝意は一切浮かんでいない。「自分の責任だ」と曖昧なセリフを棒読みしている感が否めない。「ウソを突き通せる政治力・影響力が自分にあるか無いか?を確認し、密室協議してからだ」と顔に書いてあるかのようだ。
この不敵な態度こそモリ・カケ問題で窮地を彷徨っている自民党議員の表情に似ている。
この素直さの欠如した、社会的正義において、勝つか負けるかは、政治力・影響力次第で決まるのでもう少し時間をくれ。
https:/
なぜ、『独裁』と言えるかと言えば、内田正人氏は、日大アメフト部の監督だけではなく、日本大学の常務であり、人事部長だからだ。特待生奨学金を与えられ授業料免除された学生がもしも、反則プレーを指示されたならば、そこに善悪の自己判断など一切なく『盲従』するだろうと推定できる。
「関西大学の選手を潰してこい(ケガをさせて試合に出れないようにしろ)」と内田正人監督は指示をしたか、否かは5月24日に文章で出す。今、テレビカメラの前では控えさせていただく。(明言しない)とは、政治的介入が可能でウソが突き通せるか、まだ判断が出来ないので、現時点では「相手選手を潰してこい!と指示したか、指示しないか言えません」と聞こえます。
テレビカメラに映る内田正人氏の表情には、謝意は一切浮かんでいない。「自分の責任だ」と曖昧なセリフを棒読みしている感が否めない。「ウソを突き通せる政治力・影響力が自分にあるか無いか?を確認し、密室協議してからだ」と顔に書いてあるかのようだ。
この不敵な態度こそモリ・カケ問題で窮地を彷徨っている自民党議員の表情に似ている。
この素直さの欠如した、社会的正義において、勝つか負けるかは、政治力・影響力次第で決まるのでもう少し時間をくれ。
この世論無視、民意無視の上から目線態度の源泉を探っていくと、どうも「新自由主義」に行き着くのではないか、と私は思います。
新自由主義とは何か?
https://bit.ly/1QSgUJE
◆1938年にドイツの学者Alexander Rüstow(en)とColloque Walter Lippmann(en)により作られた、その会議では新自由主義の概念を「価格決定のメカニズム、自由な企業、競争があり強く公平な国家体制の優先」と定義した。
レーガノミックスに代表されるような市場原理主義への回帰が起きた。自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。競争志向を正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう。
しかし、ここで私が指摘している新自由主義は、上記解説よりも少々角が立っています。それは市場主義経済における自己責任を基本とした規制緩和・自由競争促進が更に進んで(都合の良い拡大解釈が進み)、適者生存・敗者退場=弱肉強食→強者が全てを決める≒強ければ何をしても良い→独裁者が弱者を奴隷とみなし支配する。このようなロジックへまことしやかに変質していった。その先に、グローバリズムを推奨するグローバルエリート達が構想する世界統一政府樹立ムーブメント(新世界秩序:New World Order)があります。
新自由主義とは何か?
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◆1938年にドイツの学者Alexander Rüstow(en)とColloque Walter Lippmann(en)により作られた、その会議では新自由主義の概念を「価格決定のメカニズム、自由な企業、競争があり強く公平な国家体制の優先」と定義した。
レーガノミックスに代表されるような市場原理主義への回帰が起きた。自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。競争志向を正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう。
しかし、ここで私が指摘している新自由主義は、上記解説よりも少々角が立っています。それは市場主義経済における自己責任を基本とした規制緩和・自由競争促進が更に進んで(都合の良い拡大解釈が進み)、適者生存・敗者退場=弱肉強食→強者が全てを決める≒強ければ何をしても良い→独裁者が弱者を奴隷とみなし支配する。このようなロジックへまことしやかに変質していった。その先に、グローバリズムを推奨するグローバルエリート達が構想する世界統一政府樹立ムーブメント(新世界秩序:New World Order)があります。
(2)に続きます。