秋山眞人と言う人物の存在感 | 龍ちゃんのブログ

龍ちゃんのブログ

「陰謀論の真実性」と、「新聞ニュースの虚構性」を嗅ぎ分けたいと常々考えています。このブログに騙されないように、どうぞ細心の警戒心を持って臨んで下さい。



5月の連休明けに、秋山氏より連絡が入り、「飲みましょう」となりまして、終電間際まで歓談しました。


昔話に花が咲き、随所に様々な興味深い話がありました。


僕は1990年から20年以上、ある理由から秋山氏と絶縁していて、ある意味、昔の友達関係の調子で


秋山氏に接するのですが、彼はすでに一定の社会的地位を確立されていて、


法人顧問契約では、相互守秘義務契約と同等の契約をしているので、うっかりこの場で書いてしまった


事柄が、その利害関係に触れてしまうと面倒な事になりそうなので、詳細は書けません。


しかし、彼特有のサイキック能力が感じた私個人の個性的事柄において、アドバイスをやんわりして


いただいた点に関しては書けるので、書いて見たいと思います。


秋山氏は、旧友の関係での話では、昔のような大雑把でバカ話タップリのユーモア感覚を発揮して


場を和ませてくれるのですが、その調子で、僕がスピリチュアル関係で知り合った仲間と飲みましょう


と言うと、その場では、即OKとなるのですが、後日、NGが出ます。


理由としては、秋山氏のサイキック能力を尊敬し、それ相当のコストを掛けて秋山氏のセッションを


受けられる方々に申し訳ないという彼の礼節や誠実さが滲み出た返答が返ってくる。


当初は、「お高く停まっている」などと僕もホンネでは思いましたが、良く反芻して考えると「信頼関係」


を大切にするとは、そう言った配慮が必要になるのだなと納得しました。


秋山眞人と言う人物には、プライベートと言う空間は極々限られた家庭の中だけなのかもしれません。


十代でUFOコンタクティ、或いはスプーン曲げ少年と言う、非常に不安定な称号やレッテルを貼られ、


「それはインチキでは断じて無い」と、死の淵から這い上がって、命と引き替えにスピリチュアルをキワモ


ノの世界から、常識の世界へ格上げしようと、今もなお野心旺盛なのだ。物腰は非常に柔らかく、昔の裏


切り者であるこの私を暖かく迎える懐の深い秋山眞人と言う人物。


人間不信で植物図鑑片手に静岡の山奥に独り籠もった繊細な一面と、高校生の頃、暴走族50人相手


に独りでケンカして、木刀で頭を後から殴られ、額から血を流しながら、絶叫して50人の戦意を消失させ


た超能力が、スプーン曲げの比ではないどの位の精神エネルギーが放たれたのだろうか。この話は、飲


んだ時ではなく、彼が20~21歳の時に武勇伝として、直接聞いた話です。武勇伝だから、少々の誇張


はあるだろうけど、まあそれ相当の事はしていたようです。応援団の団長でしたから。さて、飲んだ席で、


彼が私に指摘した事は、「龍ちゃんは、言葉に出す事と出さない事のそれぞれを愛情を持って使い分け


ないと、信用を失うよ。損するよ。なんでも言えば良い訳ではないよ」でした。これは、ボディブローのよう


に響いています。


人間50歳を過ぎ、長く人間をやっていると、上記の指摘が良く分かります。ただ、理屈として理解するの


と、それを行動に表す迄に身体に刻み付けるのとでは、雲泥の差があります。


秋山氏は、「龍ちゃんと似たようなところが僕にもあったから、そりゃ痛い思いをしたよ」とニコニコしてま


した。これは、日常に出会うすべての人達とのコミュニケーションのすべてに共通して言える事だよなと


思いました。


僕と同じ資質がある人で、それなりに社会人経験があれば、だれでも理解出来る話だと思います。


口は災いのモトって言う事ですね。


ストレスフルな状況でも、寸止めの表現、寸止めの言動ってあると思います。


利害の絡む状況下で、修羅場をくぐって、多少の火傷をして、或いは多少の授業料を支払って痛い


思いをして初めて理解できるようになります。サイキック能力が他人よりあったとしても、それは、


同じように経験して初めて分かるものだと思います。