ヤフーブログで「三国志」の他に中国武侠小説ネタで書いています。

主に金庸作品の「神鵰侠侶」中心です。

もちろん、孔明さんへの想いは相変わらずで、切なく、やるせなく心惹かれるままに、書き続けています。

孔明さんへの想いで胸いっぱいになってしまわないように、魔法のような、夢のような武侠小説の世界に踏み込んで、心を解き放ってはまた、孔明さんに会いに行っているのだろうな。

最近になって、そう思うようになりました。

アメブロさんにはお世話になりましたが、ヤフーブログのほうが中心になりそうです。

よろしければ、下記、url までおいでください。


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荊州の情報収集に来ていた魯粛殿と二人で江東を訪れたものの、魯粛殿の話しとは様子が違う。

私が江東へ来て説得すれば孫権殿はすぐにでも軍を出してくれそうな話しであったが。

来てみれば魯粛以外は皆、曹操に恐れをなして降伏に傾いている。

兄は顔を見せない。

兄弟の情に流されるやもしれぬと外されたのだろう。

兄がいないのは好都合だ。

敵が一人減ったのだから。

さて、いかにして、孫権殿に曹操討伐の兵をあげさせるかだが・・・。

そうだ。曹操からの脅しを逆手に使おう。

孫権殿は江東の地に権勢を伸ばして三代目の領主になる。

まだ若く、自尊心も強い。

寸度の領地も持たぬ劉備の殿を、敗残の将くらいにしか思ってはいないだろう。

その殿が、曹操の脅しには決して屈しない。

曹操を倒すまで、何度でも戦いを挑み、それでもなお、かなわぬならば、それは天命であり、甘んじて受ける覚悟だと言えば、自尊心を傷つけられた孫権殿は悔しさに駆られ、自分から曹操討伐の手を挙げるに違いない。

問題は重臣たちの反対をどう阻止するかだ。

孫権殿の意思が固まれば強く反対するものは僅かであろうが、曹操に対するには一致団結が望ましい。

今、遠方にいる周瑜殿は文武に優れ、気性が激しく、曹操をも恐れぬと聞く。

周瑜殿に曹操討伐の論陣を張ってもらえれば重臣の意見も傾くはず。


孫権殿も私と同じ考えと見える。

私が劉備の殿の高邁なる意志を述べると、躊躇することなく、曹操討伐は江東に任せよとの仰せだった。

そのすぐ後、周瑜殿がご帰還された。

早速、曹操討つべしとの論を展開し、反対派を押し切ったのだ。

いよいよ、劉備の殿の運命をかけた戦がはじまる。

周瑜殿は私には手だし口出しは一切するなという。

江東の力だけで乗り切り、戦果を全て独り占めするつもりらしい。

私と違い、幾度もの戦火をくぐり抜け、刃を交えてきたつわもの周瑜。

実戦経験の乏しい私は足手まといであろうが、ここはひとつじっくりとお手並みを拝見させていただこう。

すくなからず、戦果もいただくつもりだ。

私とて、何の手立てもせずに江東にきたのではない。

いったん戦争の火蓋がきられれば、劉備軍は手はず通りに動くであろう。

いよいよ、曹操との一戦がはじまる。


歳が離れているせいか,兄とは親しく打ち解けた記憶がない。
父と二人睦まじげに語り合う様子を,子供心に羨ましく思ったものだった。
父が亡くなり,諸葛家の身の振り方を決めた時,兄は一人で継母を送って江東へ行くと決めてしまった。

私たちと一緒に叔父の元へ身を寄せようとしなかったのは、叔父への気兼ねからか。

私たちと離れたかったからなのか。

今回の江東行きに当たり、兄に一筆認めるのが礼儀であろう。

改めて、兄の名を記していると、妙な気分に襲われた。

父の名前は珪。意味は玉。

兄の名前は瑾。意味は美しい玉。

お二人とも、王偏が付き、玉を意味している。

父子の繋がりの濃いお名前である。

比べて、私の名前、亮には王偏が付かず、玉という意味もないが、明るいという意味が父や兄を明るく照らし、その玉を輝かせるという役目を与えられたと思っていた。

弟の名前、均はならすという意味で、やはり王偏もなく玉の意もないが中庸の精神で、和を保てとの願いがこめられているのだと理解していた。

しかし、意味はともかく、王偏が付かない名前は父子の間柄ではやはり違和感がある。

以前から、感じてはいたのだが、主君を持ち、兄との隔絶を決定的にして初めてはっきりと自覚したのだ。

私たちを迎えてくれた叔父の名は玄。くろいという意味を持つ。

三人には王偏はない。

叔父のくろいという印象を私の明るいという名で調和させるのが、均の役目ではないのか。

まさか・・・、まさか、私たち三人は親子・・・?

兄はそれを知っていて、一人江東へ去ったのか。

玄亡き今となっては、真実を知ることは難しい。

もし、疑惑が事実なら、むしろ、江東には働きかけ易くなる。

兄への遠慮はいらない。

・・・これは私の僻みからか。それとも、江東での立場を優位に持って行きたいと願うあまりの妄想か・・・?