今日は曇りです(冬型の気圧配置という天気予報)!!

 天候の良くない(秋らしくない)庭で^(^。^)y- .。oO ^今朝も、ポピュラー音楽のことを考えていました!!

 アメリカが独立を遂げた直後、海外貿易で国を賄っていこうとしたので^造船^に力を入れ、商船は世界中の海に出没「シャンティ」が世界中の港に伝えられました・・・そのうちに、新大陸でとれた豊富な資源を海外で売らなくても品物を運ぶには「鉄道と運河」があれば国内での市場で充分であると気がついきました~~~岩山を切り開き、根気よく枕木を並べ線路を延ばさなければならない、など^生易しい仕事ではなかった^のです、かつて^水夫だった不屈の男たちは帆綱をツルハシやハンマーに持ち替えました!!

 アメリカの独特の歌に、鉄道に因む歌が多く^その系統の一つに「500マイルもはなれて」があります・・・「線路の仕事」という歌は^いろいろのメロディで唄われていますが、そのなかのいくつかは^水夫の歌のメロディ^です!!

 そのうちに、カウボーイの登場です・・・四六時中神経の緊張を必要とした仕事で、牛の群れが^何かに驚いて暴れだし^その渦に巻き込まれたら最後、命がない~~~牛たちの心を宥めるため、また^親のない子牛たちを慰めるため、また^木もなく水もなく大海原のような大草原で野宿するときの夜番の例えようもない寂しさを紛らわすためにカウボーイたちは歌いました・・・カウボーイの歌のもとを辿ると,これも水夫の歌が非常に多い(映画「駅馬車」のテーマソング)など!!

 アメリカの歴史の大きな転回点は「南北戦争」・・・独立戦争の時のアメリカ生まれの歌は半分がイギリス(メロディ)で半分がアメリカ(歌詞)でしたが、南北戦争の直前、合衆国中が緊張を孕んでいたときに、詞も曲もアメリカ生まれの音楽ができていました~~~「ミンストレル・ショー」と「黒人霊歌」ですが、黒人の歌を抜きにしては生まれなかったと言われています!!

 「ミンストレル・ショー」は、白人が黒人に扮装したもの・・・ミュージカルやヴォードビル、の先駆けです~~~フォスターは南部に行ったことはないと言われていますが、ミンストレル・ショーは観ていて^それ向けの歌をつくったのが歌を作るきっかけとなったらしい!!

ミンストレルショー

 黒人は未開の人種ではありません、ヨーロッパ人よりも高い文化をもって王国を築いていました(アメリカに連れられてきたのは奴隷としてでした)・・・白人たちは巧妙に、南部の農園に別々の言葉を使う黒人たちを集めるようにし、黒人同士が話しをする機会が少なかったので、主人たちの言葉英語だけ使わなければならなかったのです~~~奴隷開放後といっても、人種差別はなくなりませんでした!!

 職業にありつけず、路頭に迷った黒人たちは北部の工業地帯へ向かい始め、工業が発達するにつれ^昔のように仕事をしながら唄う歌は「黒人専用刑務所内」だけになりました~~~ブリズン・ソングやチェイン・ギャング・ソングと呼ばれる「ワーク・ソング」です!!

 黒人のなかには商人として成功し、以前よりも増しな生活をする人もいました・・・黒人街の黒人専用教会には、昔のニグロ・スピリチュアルに代わり^ダイナミックな宗教歌「ゴスペル・ソング」が唄われるようになりました~~~宗教心厚い黒人からは罪深い音楽として、忌み嫌われた音楽に「ブルース」があります(スピリチュアルが集団の歌に対して、個人の歌でした)!!

 「ブルース」のなかには^ワーク・ソング、ニグロ・スピリチュアル、その他様々の黒人の民族音楽が流れ込み、いつまでもなくならない「人種差別'に対する呪いや苦しみ」、それに打ち勝って生きていくためには欠かすことのできなかった^ウイットやユーモア^が溢れていました・・・「黒い魂の叫びブルース」は単にジャズの一要素であったばかりでなく、アメリカの音楽に絶えず活力を与え続けていました!!

 ●続きます(後日)