FIFAワールドカップで話題になる日本人サポーターのゴミ拾いに対する世界観
皆さんこんにちは。
今回はタイトル通りのお話を、ワタクシなりに記してみたいなと。
目下、絶賛発売中のバカバカエッセイ、『アメリカかぶれLAへ渡る』(略してアメかぶ)にも、前回のブラジルでのワールドカップを取り上げて、『カルチャーギャップ』という小見出しで登場していますがね、『日本人サポーターのゴミ拾い』という恒例行事みたいな行動が、自国の日本でも賛否両論となっているけれど、日本とアメリカでは物事の捉え方が少々(大々?)違っていて、実はこの行為、アメリカ人の目からしてみると……、
「ダメだよぉ~! 人の仕事を奪っちゃったらぁ~!」
になっちゃうんですよねぇ~!
もう少し細かく説明すると、いわゆる労働するチャンスもナカナカ無い人たちが『短期労働者』としてこういった『場内清掃係』にありつけているわけで、しかもたいがいが時給制なので、もしかすると日本人サポーターがゴミ拾いなんかをしてくれちゃったせいで、
「日雇い労働者にとっては、その分の日銭が稼げなくなっちゃったっていう可能性がある訳なのだよ!」
ということなんですねぇ。
実はハリウッドの世界でも、どんなに小さな仕事であろうと、キッチリと担当者が決められていて、例えばセットの撤収や清掃、食事の配給やお茶くみに至るまで、その全てに各担当者が専門で働いているので、些細なことであろうと決して手を出してはならないんですが、要はそれと同じこと。
結果、日本人サポーターの『善意的行為』は、雇用者にとって『悪意の塊』となっちゃう訳なのですねぇ~!!
実はもっと深い部分から考えて直してみると、ある程度は裕福な国民が、良かれと思ってやっていた行為というのは、貧困に苦しむ国民の目からしてみると、果たして本当に『良かれ』だったのか、お国によって大きく違っちゃうものなのだなぁと、つくづくワタクシは感じます。
そしてもう一つが、他国民から『日本て、おかしなことをする国柄なんだなぁ……』という捉われ方。
これはいわゆる善意ではなく『文化の違い』という解釈で、
『日本人のサポーターを観ていると、「たとえ金を払う側の立場でも、率先してゴミ拾いの仕事までするのが社会常識なんだぞ」っていう、変な教育を受けてきたんだな』
と思われているということ。
すなわち、
『日本はこれが一般常識とされているから、皆がごく当たり前に掃除していってるだけ』
という解釈。
これすなわち、日本人であれば皆が皆、たとえ金を払う客であろうが、最後の掃除は当たり前だという、一種の伝統があるのだ。
なんてことを思っている他国の人も多くいるのは間違いないでしょう。
当のサポーターは、「係員からサンキューって言われたよ」と返していたようですが、これはどの国でも口にする、ある意味での『皮肉』のテイストも含まれている「サンキュー」ではないかと、ワタクシは思いますねぇ。
あるいは、
「あんなに熱心に他人の席までゴミ拾いをして、もしやあのゴミは、日本のどこかに高く売れるんじゃないだろうか?」
とまでも、世界の人々はきっと考えているかもしれない……う~ん、実にあり得る。(笑)
それだけ単純に受け止めているわけなんですが、選手のロッカールームもそうだったけれど、同じ日本人のワタクシ個人から言わせると、なんだか自己満足を主張しているようで、どーもウザったい......。
しかもそれを「世界中から絶賛!」みたいな記事にしている各マスコミも、ウザったい......。
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