今日の食材はとりあえず、人参、じゃがいも、玉葱、糸コンニャク、レタス。
後は肉と生野菜が少し欲しい…と言ったところ。
下拵えの後、米を研ぐ。
量はだいたい7合。
2人にしては多過ぎる量である。
と、インターホンが鳴った。
「あ、おば上。」
宗尊は急いで玄関へ駆け出す。
扉の向こうから、妙に若々しそうな声が聞こえてくる。
「宗ちゃーん。
ちょっと開けてくれない?」
宗尊は半分ジョークで
「肉とサラダドレッシングと生野菜、それで女の必需品は大丈夫ですか?」
と、扉越しに言う。
すると声の主はやや怒った感じで言う。
「大丈夫だってば!!
だから、ドアが開けられなくなっちゃったの!!」
「へぇ。」
そこで扉を開ける。
帰ってきた女性の手は、大量の品が入ったエコバッグとハンドバッグに陣取られていた。
「おかえりなさい、おば上。」
宗尊は少し、笑った。
「ただいま。
パート帰りに買い物して来たんだけど、買い過ぎちゃった。」
彼女は大島(旧姓櫻井)ひろみ。
櫻井隆博の1歳下の実の妹であり、現在2児の母。
母親を早くに亡くした櫻井兄弟の母親代わりでもある。
転勤になった夫とともに引っ越して来たのである。
「まあ、今年はやっちゃんが受験ですしね。
今も缶詰ですよ。
絶対に燈火高校に行くって。」
と、ひろみの顔が突然、こわばった。
「…ちょっと、今…燈火高校って言わなかった?」
宗尊は少し動揺した。
「ええ…まあ。」
ひろみは全く聞かされてなかったらしい。
「…後で親子面談って言っといて。」
「あゐあゐさ。」
大島家はひろみの夫・宏哉(義兄・隆博の後輩)、長男・和哉(中学3年・従兄弟・カズマと名前が似てるせいか、通称・やっちゃん)、長女・みなみ(中学1年)。
母親以外は野球が大好き(ひろみはただ1人サッカー派)。
和哉は今年の中学野球引退まで港中のエースだったし、みなみは港中ソフトボール部で1年生ながら正捕手をしている。
身近で野球に触れ合ってたせいか、みんな野球好きと化していたのだ。
『目標・燈火高校』発言は、どうやらそういう魂胆が見え見えな気がしてならない。
ちなみに燈火高校は千葉県立である。
「ったく、明日はようやく取れた『大人の夏休み』なのに…。」
ひろみは少し、不機嫌だった。
話は合宿3日目の夜に戻る。
というより、進む。
食後の龍崎野球部の面々は少し退屈そうだった(数名除く)。
「…。」
↑美術の宿題『麻薬撲滅キャンペーンポスター』の構想を練っている櫻井寿馬(16)。
と、楽しげな物を見つけた。
質のいいカラオケマシンである。
「…いいのかな。」
渋川は気になってしょうがない。
とりあえず崇道が瑛憲さんに交渉する。
すると…。
「あれ?
別にいいよ。
ただし、9時までね。」
OKらしい。
「やったぁ!!
歌いまくるぞー!!」
万歳三唱。
なんか2年生だけで勝手に盛り上がってるような気がするのだが、それは気にしない。
これは仲間外れではなく、彼自身の意思なのである。
その証拠に彼以外の1年生は全員、カラオケで大フィーバーしている。
それを見ていたカズマは、ピンと来た。
「…お、いいかもな。」
と、急ピッチで絵を仕上げる。
だが、1人だけカラオケに参加しないカズマを2年生がほうっておく筈がない。
ちょうど絵具を乾かしている時…。
「回れ~回れ~扇風機~。」
↑この時点で音程が外れている。
「よっ!!
カ・ズ・マ!!」
思わず『ビクッ!!』となるカズマ。
「…な、なんなんすか崇道さん!!」
崇道はマイクを持っていた。
しかもちゃっかり電源ON。
「何遠慮してるんだよ!!」
「いや、遠慮なんかしてない…。」
「言うだろ、踊る阿呆に見てる阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損損って。
折角の機会に歌わないのは損だっての!!」
「…いや、俺…カラオケ行ったことないんですが。」
「まずは歌え!!
歌うんだ!!
好きな曲歌わせてやるから!!」
「…(だめだこりゃ)
1曲だけですよ。」
とりあえず約束。
「ではいきまーす!!」
と、崇道はタンバリン(ペンションのレンタル品)片手に乗せようとする。
「(あーあ…なんで断れなかったんだろう。
これが日本人の血の濃さ故の辛さなんだろうか…)。」
カズマは珍しく苦悩の表情である。
5分後…。
「…(うわっ…下手すぎ)。」
みんな真っ青になっていた。
誰にでも得手不得手は必ず存在するものである。
カズマの場合、それがスポーツ(野球どころかバレエ、水泳もできる)と勉強(文系教科に強い)と絵(人並みだが)であり、梅干し(本人いわく『下手物と梅干しどちらかしかないと言われたら、絶対下手物をとる』)と音楽(感受性音痴)と有刺鉄線(見ただけで吐き気がするくらい嫌い)と料理(簡単なものしかできない)というだけである。
「…だから歌いたくなかったのに。」