622年。
時の帝・推古帝の摂政で皇太子の厩戸王が急逝。
倭の民は哀しみに暮れ、倭国は、光を失いかけていた。
厩戸王の弔いの席の中での事である。
「…ここに…。」
弔辞を述べる蘇我の大臣がいた。
しかし、顔は笑っている。
薄ら笑いだ。
しかも、誰1人気付かないほどの薄ら笑いだ。
ほとんどの人には、涙で言葉が詰まって見えたのであろう。
怪しむ者は誰もいなかった。
翌年。
蘇我の大臣はより図々しくなり、誰にも止められなくなっていた。
境部雄摩侶を突然呼び出し、
「雄摩侶。
新羅に送った調の返事はどうなった?」
と尋ねた。
すると雄摩侶は、こう答えた。
「…まだ来ておりませぬが。」
それもそのはず。
まだ返事を出すには時間がかかる。
今から返事を出すことこそ、無茶があるのだ。
しかし…。
「俺は待ちきれぬ!!
至急、お前を大将に軍を出せ!!
新羅に脅しをかけろ!!」
蘇我の大臣の命令に逆らうことなどできない雄摩侶は、軍を率いることになった。
「…(はあ…。
蘇我の大臣も短気すぎるなあ…。
新羅にも都合というものがあるだろうし…。)」
本心はこんな感じだ。
しかし、蘇我の大臣のことだ。
逆らったら、間違いなく殺される。
相手は先の帝をも殺した男なのだから。
「催促だけで済めばいいのだが…。」
幸い、催促のみで済んだのが救いだったが、下手したら戦になっていたところである。
非常に危なっかしい。
それだけで済んだのならまだしも、蘇我の大臣の図々しさはエスカレートしていき、行動はだんだん派手になっていった。
ある日、蘇我の大臣は宮にいた。
大臣は帝に、
「帝。
本日は少し、お願いがありまして…。」
「どうしたのですか、大臣。」
すると、蘇我の大臣の口から、信じられない発言が飛び出した。
「土地を…分けていただけませんでしょうか。」
これにはさすがの推古帝も
「…何を言うのです。
許しません。」
と、きっぱり断った。
ま、当然といえば当然だ。
それから…2年。
蘇我の大臣は病に倒れたのである。
【続く】