俺が実家にいる頃、親父は毎月おかんに

花束を渡してたからそうするもんなんやと

俺も妻に毎月花束をあげる様にしてるんや

けどうちの近所の花屋のおっちゃん、

愛想は悪いけど腕がいい。

他所の花屋で買ったこともあるけど

配色や花の選択、花の持ちとか全然違う。

でも愛想が悪い事に対して俺は別に

何も思わんのよな。

あぁそう言うタイプの人なんやなぁ。

で、終わり。

対価を払った分だけの満足感が得られれば

それで良いのよ。

愛想がなくて腕がもないなら他所に

行くだけ。

そこでふと思ったんやけど今の世の中

「寄り添え!」

と言う相手の主体的なものに対して

受ける側が強要する嫌な時代に

なったなと思う。


例えばお医者さん、おかんの主治医は

患者が溢れてるから

必要最低限の話しかしないタイプの 

人によっては冷たい医師

と言う印象を受けるけど、問題は

腕なのよ。膵がん3bと言うまぁまぁ

厳しい所から根治手術をしてもらって

今でも生きてる。それで充分。


長々患者のグチを聞いてくれて

望み通りの薬を出してくれても

治らんかったら意味がない。

つーかグチなんて家族に聞いてもらえば

いいし、自分の感情を自分でコントロール

出来なくて人に何とかしてもらおうと

言うのもようわからん。

そう言う類の人が寄り添いを求めて

るんやろう。

ただし、

寄り添うかどうかはお前次第やって

所があるでしょ人間やねんから。

寄り添いたいと思う人間性が自分に

ないのを相手にせいにすんなよ

と思うのよ。

何度でも言うけど寄り添うとか

言うのは相手の善意の問題であって

それをお前は医療者なんだから

寄り添えよ!と強要するのは

代金を払わずに商品を持って帰る

のと変わらん。


いっその事ホテルのサービス料の

様に点数化したら良いのに。

目を見て話をしてきいてあげたから何点、

慰めてあげたから何点、

一緒に泣いてあげたから何点。


とか。それはそれで今度は

「こっちは金払ってんねんぞ!」

と言うお客様は神様やぞ!

と勘違いしてるタイプが暴れるんやろうな。

世の中って難しい。



ただひとつ思うのは他人が自分に

あーしてもらってこーしてもらって

って望む人ってそれだけの価値が自分に

あるのか?

ってところが抜け落ちてるんとちがうの。

それは俺が俺自身に価値を感じてないから

そう思うと言う裏返しにもなるわな。

家族は悲しむやろうけど俺が死んだからと

日経平均が下がる訳でもないし

皆それぞれの日常が当たり前にやって

くるだけ。