"発信することの重要性に気付いた25歳の夏"

きれいな言葉ではなく、率直な自分の気持ちを書きます。



■「発信すること」について■

今までの私の考えは、

「発信=かっこ悪いこと」「発信=目立ちたがり屋」

そう思っていた。

正直、

努力してます・頑張ってます・苦しみに耐えてます・俺こんなことやっています

とかは生きていれば当たり前にやらなくてはいけないことだし、
そういうことは、公言しない方がかっこいいと思っていた。

地道に努力していれば、誰かが認めてくれるだろう・誰かが評価してくれるだろう

と甘い考えを持っていた。

報われたときに「がんばった」と自分で自分を評価しようと思っていた。


でも、、


評価するのは他者であり、自分ではないと再度気づかされた。


自分がプロサッカー選手だった頃を思い出しても同じことがあった。
他の誰よりも頑張った、努力した自信があっても、結果が比例しなくては、
「あいつはさぼっていた」「本気になれていない」と言われてしまう。
それだけでなく、努力しているかどうかなんか関係なく、
どんな私生活を送っていてもピッチ上での結果がすべてであった。

それって自分自身がどんな思いがあるのか・どういうことをしているのか

表現が足りなかっただけではないかと思う。
私生活も犠牲にして努力したことは自己満足であり、評価する人からしたら関係ないことであった。
それより、宮内 龍汰という存在すら気づかないくらい表現をしていなかっただろう。


「自分自身」を公に出さず、地道に生活しているほうがかっこいい、

頑張っていればいつか誰かが認めてくれ、評価してくれるだろう、

そんな俺は”強い人間”・”地道な人間”だと思っていた。



でも、それは、弱い人間のやることなんだと気づかされた。



なぜ気づいたのか。
それは先輩からの何気ない一言。



「お前が将来フリーランスで働いたときにどう自分を表現するの?」

「世界中に敵がいる中でどう宮内 龍汰という人間を発信して気付かせるの?」


確かにそうだ。その通りだ。

言われたときは何も言葉が出なかった。



社内で発信できないやつが、社外に向けて発信できるわけがない。

そんな自分は、「21世紀を代表する会社を創る」ことなんてできない弱い人間であった。




自分自身のやりたいこと・思い・夢など口にすれば

批判するものも出てくるだろう。

でも、その言葉を発しないと、何がしたい人間か・どういう人間か

誰にも気づいてもらえないし、助けたいとも思われない。

自分という存在を表現しないと、自分自身にも失礼だと思った。

そして発信すること・地道にやることこれを分けて行動しなくてはいけないと思った。

 

その当たり前のことに気づくことができなかった25年間、、、、

 



そこで、宮内 龍汰は2つ宣言をする。



宣言1
「新人賞をとる」


これはずっと思っていたことだ
でも、ほとんど公言したことはない。
言わないで受賞したほうがかっこいいと思っていたからだ。
それよりも、言ったのに取れない自分を想像することが嫌だったからだ。


宣言2

「スタートアップアワードにCyberEを」

CyberEの社長である文さん
席も隣で、いろいろなことを相談し、いろいろなことを教えてもらっている
文さんを壇上にあげたい!!
その気持ちで常にいっぱいだからだ。




今まで、宣言しなかった私がここで宣言してみて
気づいたことがある。


言わないことよりも、言ったほうが責任感が自然と生まれ、

自分自身のギアをもう1段階・2段階あげることができる。

これから、自分の思い・考えなどを宣言していきたい。