義母から電話がありました。



口数も少なく、明るくハキハキ喋る感じでもなく

どーんよりしたトーンでボソッ・・・ボソッ。

義祖母への不満を・・・。



なかなか手強いようだ。

まぁ、お互い様だと私はいつも思う。



旦那の祖母は90歳。

何度か入院したりはしてるけど、至って元気。

特に、お口がね。



90になった今も

新聞は全て読み、裁縫もしている。

色んな事に、口も出すし、手も出す。

らしい(笑)



耳がかなり遠くなっている上に

方言と訛りがハンパないので

子供達には、常に通訳が必要で



いつも、話しかけられても

きょとんとした顔で

私に助けを求める。



私も、だんだんその通訳が面倒になり

最近では、とりあえず



うなずいて、笑っとけ



と、言っている。



私が、年2回の帰省で必ず聞かれること

『あっちの、おばあさんは何歳で亡くなったんだった?』



私の実の祖母が何歳で亡くなったかを

かれこれ・・・14年!

ずーっと年2回、聞かれ続けている汗



耳が聞こえにくいので

大きな声で、聞こえるように何度も繰り返す

けど

なかなか、聞こえてはいかないようで

大汗をかいて、こっちが疲れちゃうんだよね。



『なんだってぇ?』

『なんて言ったぁ?』

まるで、志村けんのコントの世界



それなのに、ボソッと小声で

『あー、疲れた・・・。』

と、呟く声は拾われてしまったり。



だから

私も、うなずいて笑ってることにしました。



でも泣くんです。

『よく、あんな津波に流されたのに生きてたねぇぇぇぇぇえーん。

って・・・。



何度も、流されていないって説明してるんだけど。



『避難所は、大変だったろう?えーん。

って・・・。



家にいたよ。って、何回言っても届かなくて。



都合の悪いことは聞こえないフリをしたり

色々、頭を働かせてるらしいけど

いらぬ心配で、ずっと胸を傷めてるのかと思ったら

やっぱり、可哀想になりました。



心配しなくて、いいのに。



そうそう、義母さんからの電話は



『おばあさんが、犬のクッキーを食べたのに

食べてないって、嘘をつく』

というものであはは。。。



タッパーに

『犬のえさ』

と書いて、クッキーを入れていたのに

ある日、激減していたと。



ピンッ!と来て、おばあさんに問いただしたけど

食べてないの一点張り



でも、そこをしつこく5回繰り返して聞いたら←ほんと、しつこいよ。

『美味しいから食べろって、お父さんにもらった』

と、自分の息子のせいにしたようで。



『ほんとに、お父さんにもらったの???』

と、またしつこく聞いたら←・・・ヤレヤレ・・・

やっと白状したんだよと・・・カリカリ

怒り←きっと、こんな顔で責め立てたに違いない・・・。



かなり、義祖母が不憫になりました。



85歳を過ぎた辺りから

『もう、いつお迎えが来てもいい』

会うたびに、そう言っている義祖母



でも、知ってるよ



この間、たまたま帰省した時にあった震度3の地震

一番、逃げ足が速かったこともむふっ。



普段、私達がいるときは

家の中でも小さな手押し車を押して

部屋からトイレへ、リビングへ移動してるけど



誰も家にいないときは

スタスタ、普通に歩けてる事もあはは



立ち上がるときや、着替えの時

お手伝いすると、よく口にする

『おばあさんの遺産は、全部あんたにやるからな』



親切にしてくれたみんなに言ってることもむふっ。



ディサービスの介護師さん達が

『○○さんの、口は止められない』

と、言うほど、おしゃべりすぎることも。



でもいまだに、微々たる年金から

必ず子供達に、そして私にまでお小遣いをくれる。



『私は、いいよ。』

って言っても

『これだけが楽しみなんだから

生きてる間は、続けたい』

そう、言ってくれる。



息子がお腹にいるときは

まだ私は、同居していて



義母には、心ない言葉を浴びせられるし

つわりは、ひどいしで

何も食べられないでいるとき



夏なのに、みかんを買ってきてくれて

食べさせてくれたのも、義祖母だった。



なんでか、そのみかんだけは喉を通って美味しく食べられて。

何度も、何度もお店に行って買ってきてくれたんだった。



介護は、想像出来ないほど

大変で、辛いものかもしれないけど

無責任だけど、もう少し生きて

楽しませて欲しいなぁ・・・って



義母の電話を聞きながら、そう思いました。



今度、帰る時は

美味しいクッキーをお土産にしないとね(笑)







地震で壊れた会社の工事が今日から始まって

当分、出入り禁止になりました。



お給料が歩合制の私には、とてもイタイお休み。

これから、物入りなのにえーん。



うちのマンションの見積もりもやっと、やっと・・・出たそうで



○千万円・・・・・・・・エ!・・・・・・・・・shokopon

各家庭の持ち出しも、○十万円・・・エ!エ!エ!shokopon



しかも、工事が混んでいて

来年中に手をつけられるかな~?

な、とーっても先で、とーってもアバウトな予定。



ほんと、めまいです。





それでも

まだ、もっと、大変な人達がいる



そう思って、歯を食いしばるしかありません。



この程度で済んで良かったんだ



そう思って、諦めるしかないのです。



同じマンションに住む友達が言いました。

『ここの、きれいな街並みが凄く気に入って

やっとの思いで買ったマンションなのに・・・

あちこち、ボコボコだし、すぐ冠水するし

色んなものが、斜めになってるし

大好きな街並みじゃなくなったよ・・・。』



一生に一度の大きな買い物

ここで、ずっと

そう決めて来たはずなのに。



どうしてかな

金額が出ると、余計に凹みます。



でも、立ち止まってはいられません。

まだまだ、踏ん張らないといけない事だらけ。



だけど

どうにかなる

なるようになる



そう思って

待ってはくれない時間と

あれとも、これとも格闘しながら



また明日も、笑っていられるように

今日をしっかり生きていきます。










先週の金曜日、仕事中に腰がおかしくなって歩けなくなってしまった。

騙し騙し生活してたけど、完璧に悲鳴をあげていたみたい。

見る見る動けなくなる。
けど仕事を途中で辞められず、心の中で泣きながらやり終えて接骨院へ駆け込んだ。

座れない
横になれない
歩けない

トイレに行きたいのに、起き上がれない
やっと起き上がっても足を進める事が出来ずに
すぐそこのトイレに行けない

家族も寝静まった夜中に、1人声を押し殺して痛みを堪えていたけど
余りにも惨めで泣けてきた。

こんな時に、地震が来たら私はお荷物になるんだなぁ
なんて考え…益々虚しくなる

健康で元気でいることの難しさ
この腰とは一生の付き合い
朝になり首と肩と背中にまで激痛が走り
ボロボロでポンコツな自分を改めて確認してしまう。

どうせなら、嬉し涙を流したいのに
うまく行かないなぁ…。


実は今日、元実家では両親や祖父母の法事が行われている

去年の予定を今年に延ばし、今年になったらやらないと言い出したおじ

法事をしないのならお墓参りだけでも…
そう思って先月、日帰りで行ってきた後に
やっぱり、やる。
と電話…。

無理して来なくていいから。
それは優しさか?それとも来てほしくないだけか?
ホントのとこはわからない。

運悪く、どうしてもはずせない学校の行事があって私は行けなかった
でも、行事は雨で中止になった
でも、ワタシは寝たきりだった…。

母の最後の法事、三十三回忌

これを最後に母は
『神様になる』

だからこそ、行きたかった
だからこそ、供養してあげたかった

またしても親不孝
最後の最後も親不孝

終わったよ。って妹から電話があった

『お母ちゃん、神様になるんだって!』
と子供みたいに興奮して教えてくれた(笑)

知ってたワタシは
『そうだよ。だから最後にちゃんとやって欲しかったんだ…』と

『和尚がね(和尚は私の友達)、お母さんは神様になるんだから、おめでたいんですよって言ってたよ
若くして亡くなってしまったけど
だからこそこうして、お子さんや兄弟に見送られて神様になる。素晴らしい事ですね。
』って

もっと遠くに行ってしまうようで寂しい気もするけど
これからも、ずーっとお墓参りはする
母に会える場所はそこだけだから

そして、父が神様になる時も見届けられるように
やっぱり、健康で元気でいたい
強く思う。強く願う。

一日、一日が、ほんとうに早くて。



空だけを見ていたら

あの日の事は全て無かった事のようにさえ思えてしまう。






マンションの修理は、いまだに何も進んでいません。

管理組合や、理事会での話し合いすらありません。

詳しい説明もないまま、ずるずる7ヶ月。



うちの玄関脇にも亀裂があったことに気付いた日

ただただ震えました。



危険と隣り合わせなのに

不便と感じていた事が長く続くと

それは不思議と不便ではなくなり

当たり前のように感じる



慣れ。ってこわい





中止になった娘の春の運動会も

今月、学年ごとにやってもらえることになったり



田植えした稲を、無事に刈り取り

来月には収穫祭が出来る事になったり



今年は無理だね。



そう思って諦めていた事が出来ること。

喜びは何倍にもかわる



毎年、同じ事を繰り返してるだけなのに

変わらず、その年の思い出に加わる事



この当たり前のようにやってきた事が

今年ほど、有難く感じる年はないだろうな。







9日の新聞を夜に読んでいた

目の前が真っ暗になった。

号泣してしまった。

うなだれてしまった。



両親を津波で失った、福島の少年の話し・・・。



兵庫の親類宅に引き取られたが

部屋に閉じこもり、自傷行為を始めた。



『福島に帰りたい』



そう訴えた少年は、福島の親類宅に移る。

が・・・。



その直後、両親の遺骨を抱いて

海に身を投げた。




命があることが一番だけど

命があるから、必ず幸せだとは限らない



もしかしたら、この先

楽しい事もいっぱいあっただろうけど

今を乗り越えるのは、簡単なことじゃないんだよね。



まして、子供。

誰かの手を借りなければ生きていけない・・・まだ子供。



苦しんだよね。

辛かったよね。



一人ぼっちは、寂しかったよね・・・。



報道されてる事は、ほんとにごく一部。

こうして震災後に絶たれた命は報道されることが少ない

被害者は、発表されている数字だけじゃなくて

それ以上、想像以上なんだよ。



『離れてても家族』



いい言葉だと思った。



でも



それは



生きていてこその言葉






私には、父も妹も祖母もいたから

後を追うなんて、一度も考えた事がなかった。



でも、ひとりぼっちになっていたら

親類宅に預けられたら

そう思えたかな。



そこを乗り越えられる根性が

私にはあったのかな。

ない・・・そんな気がしてる。






毎朝、息子のお弁当を作りながら思い出す。

小学5年生から、自分で作っていた

質素で美味しくないお弁当を・・・。



お料理なんてした事がなくて

何一つ作れなかった。



ボロボロの卵焼きと

こげこげのウインナーとご飯のみ



いつもこの組み合わせ。



お友達のが羨ましくて

自分のものが恥ずかしくて

いつも隠して食べていた。



お腹いっぱいじゃないのに

恥ずかしくて、早く蓋をしたくて、残して・・・。



ヒソヒソ、笑ってる子がいたのも知ってる

ヒソヒソ、噂話をする大人がいたのも知ってる



母のほんとの病気を知らずにいた私に

『あんたのお母さんて、もう死ぬんでしょ?』

って、聞いてきた子もいる



そんな会話を、他人はしてるんだ

人の不幸を笑いながら



人の不幸は、蜜の味なんだもんね・・・。



悔しい





今は、恩着せがましく聞こえてしまってるのかもしれないけど

子供達には

当たり前の事なんて、何一つないんだと

常に言っている



感謝の気持ちを忘れない事

決して1人で大きくなってないこと



親のおかげだと思え!って事ではない



人を思いやる気持ち

困った人を助けてあげられる優しさ、勇気



親がいつまでも一緒にいられるものではないと言う事。

明日が必ず来るとは限らない事。



酷かもしれないけど・・・



後悔しない一日を生きて欲しい



ただそれだけ。



私と同じ、思いだけはさせたくない。

ただ、それだけ。






昨日、Nコンを見ていて

涙がボロボロこぼれて止まらなかった。



金賞の郡山二中。



よくがんばったね。

あの環境の中。

風評被害もハンパじゃない中。



夏に訪れた時

街並みは変わらないのに

誰一人、歩いていないあの街を見て悲しかった。



公園にも、プールにも

子供達の楽しそうな姿はない、声はない。

私の友達は、パニック障害を発症してしまった。



福島って、書いてあるだけで避けられたり、暴言を吐かれたり

ここにいたって、そうだから。



産地を気にして買い物する人が物凄く増えたのも原発の影響。

買いたくないのなら、手に取らなきゃいいだけ

そこは、自由だから



でもそこで、福島に対する暴言を吐きながら

買い物するのは、必要なことなのかな。

聞きたくない。



嫌なら、食べなければいいし

近寄らなければいい

それは、ほんとに個人の自由だから

誰にも責められない。



だけど、不安を煽るようなことを言ったり

そう思ってない人まで巻き込んだり、不快にさせたり・・・。

黙って、他の産地のものを買えば済むんじゃないの?



言葉の暴力は、大きな深い傷をずーっと残すんだから。






宮城の新米を頂いた。

とってもモチモチして美味しかった。



お友達に、おすそ分けしたい。

いつもなら、小分けにして何人かにすぐ配ってるはず。



でも今の私は、それを躊躇している。



なんだかんだ言っても、自分がカワイイんだ・・・。

傷つきたくない。



小学校では毎年5年生がおコメを作る。

秋に収穫して、芋煮をして収穫を祝う収穫祭

そのとき、とれたおコメも食べ

残ったおコメは、希望する保護者に販売する。



その買ったおコメをお友達からいただいて

我が家まで、毎年5年生が作ったおコメを食べていた。



今年、娘達が作ったおコメ

今度は、お返しに・・・そう思っていたのに



『おコメ、いらないからね』

と、先に言われてしまう。

仕方のないことだけど、悲しかった。



でも、私は買うよ。

ひと月も遅れて田植えしたのに

しっかり収穫できたんだから。



何度も、観察に出かけたり

案山子を手作りして大事に見守って、育ててきたおコメだもの。



感謝して有難く頂きたい。

子供達の事も、ちゃんと褒めてあげたいから。



そんな人ばかりではないけれど

受け取ってもらえなかったら

それは仕方ないと頭で納得させていても

悲しいので

それなら、おすそ分けをせずに我が家で消費するべき



ただ、食べて欲しいという気持ちだけなのに

相手にしたら不快になることもゼロではない。



難しいね・・・。





震災後も、今も変わらず

私の出来てる事、やれてることは小さいけど



代金の一部がとか、○円がとか

書かれてある商品は優先的に購入し

出来るだけ地元のものを選んで買っている。



いいもの、いっぱいあるんだよ。

美味しいものも、いっぱいあるの。



勝手に送りつけてしまって

もしかしたら、迷惑に思う人もいるかもしれない。



これは、ほんとうに自己満足だから。



でも使ってくれたり、食べてくれる人がいてくれるなら

そんなうれしい事はない!



だけど、もし・・・その逆でもいい。

私が購入した事で、地元に還元されてるのなら

それでもいい。



立ち上がって、這い上がって

進み始めた漁師さんや、農家の人たち



がれきを運んだり、片づけを手伝ったりは出来ないけど

これなら出来る。



お友達から届くお手紙に

何気に寄付金付きの切手が貼られているだけで

心が温かくなる。

嬉しくて、たまらなくなる。



続けていかなきゃいけないことは、たくさんある。

やれるところまで

悔いの残らないように



自分のやれるところまで

これからも、この先も、ずっと・・・。



まだまだこれから。

温かい支援のいろんな形が

ここから先も繋がっていきますように。



何も出来ない・・・。

そう思ってることが、気持ちが

実は、大きな大きな優しい思いやりの支援だったりしませんか?



私は、ずっとこの7ヶ月。

そんな優しさの支援に包まれてきました。



思いやる気持ちが、支援の第一歩。



今日も、そんな優しさに包まれて生きていられるのです。



見えないどこかで、見えない誰かも、絶対支えてくれている

1人じゃないから

生きることをやめないで



ちょっとだけ、ちょっとだけ

踏ん張ってみよう



希望だけは、なくさないで







14時46分

黙祷・・・。