全く出来てません。
心も体も。




若い頃は
せっかちなのも手伝って
早いうちに準備完了出来てたし
一度にいくつもの事をクリアする器用さも持ち合わせていましたが…



今現在、一つの事をクリアするにも横道に逸れて(汗)


なんなんでしょう
あれ、やらなきゃ!
って、思ってそれを目指して進んでる途中に
違う、それ!が目に入って来ると



あれ!をすっかり忘れて
それ!をしてしまい
あれ!の存在すら忘れたり。


会話中にも、口から返す言葉が出る直前に
TVから何かが聞こえて来ると
聞こえてきた言葉を返してしまって

話がちんぷんかんぷんだったり。


なんだかんだ言って年のせいにしようとしていますが
そろそろ準備しないと。
と、気ばかり焦って口は動くが、手と体は動かず…。






ショップのフラゲは昼過ぎに。って、言われるけど
オンラインは早いのね~


会社から戻った10時には不在票がポストに入っていて
宅配ボックス開けたらタワレコからで、NICOのアルバム(≧∇≦)






しぃのブログ




古くんの足が可愛すぎる。




このクリアファイル

もしかして、くじが当たったってこと?




ワタシが引いたわけじゃないけど。笑

トートバッグの方が良かったけど。こらっ

でもうれしいです♪



そして、
家に上がって間もなく、またピンポンが鳴り
今度はlegoのアルバム(≧∇≦)





しぃのブログ





先月のライブも行けてないし

来年のツアーも、平日だから

行けるかどうかわからない。



でもアルバムは、とにかく楽しみだったから。

どんなlegoが見れるのか、楽しみだったから。

聴き込みたいと思います。




って・・・・・・・。

それより・・・・・・・。

今は、違うでしょ?って感じ?苦笑




唯一、近所のTSUTAYAに注文したflumpoolは
自分から来てくれないので(笑)
寒くて家から出るのが嫌になり、まだ手元には(^_^;)




この時期、開ける順番間違うとね…(°□°;)
間違えてる?けどね。






今、娘の通う小学校はインフルエンザが流行っていて
6年生は学年閉鎖です(*_*)


同じフロアにいる娘の5年生達も、じわじわ広がりを見せていて
とにかく落ち着きません。


ワタシが元気だけじゃ、遠征は無理。
家族、特に子供達が元気でなければ置いては行けません。


ソワソワ
ドキドキ
継続中です。


いない間の食事の準備や
あれがどこに置いてあるかとか、細かい事まで娘に伝えておかないと。


旦那は、ただいるだけ。


でもこの際、いるだけでも良しとして
言いたい事は山のようにあるけれど我慢の日々。


出してくれる事には、素直に感謝したい。


ただ、帰りが日曜日の夜遅くになるのは知らなかったみたいで(笑)
ワタシも、どこまで話したか忘れてるし


と、言うより…10、11日頼むね。
って、何度言ったかな


その度に『どこ行くの!』って…。(°□°;)


(疲れるんだよ(`ε´))


ワタシが留守の間、娘が旦那と二人きりだと思うと…不憫で 不憫で。

あの自分勝手な兄貴には、何も期待はできないし。




昨日も、自転車の鍵を無くした!と言って

電車で帰ってきました。




明日、旦那に送ってもらえばいいや

って感じでいたけど




旦那は今日、東京出張で無理。




ワタシに、送れっ!って視線を投げかけてきたけど

娘も送り出さなきゃ行けないし、お断り。




そしたら、すねて

『明日、歩いて行くから!6時半には家出る!』

と言ってふて寝。




もはや、ふて寝の意味すらわからん。

自分のせいじゃん。




聞こえるようにワタシも

『6時半に出るってことは、5時半には起きて弁当か~~~』

と、嫌味。




そしたら

『いらねぇーーよっ!』

と部屋の中から声だけ聞こえた。




まぁ、あーでもないこーでもない言いますよ、ワタシ。

でも、やりますよ、ちゃんと。




どうせやってあげるなら

気持ちよくやってあげればいいものをね。笑




なんでもかんでも当たり前だと思っていて

人に合わせることはせず

自分勝手な奴には、




一言余計であっても

言わずにはいられないほど

毎日、血圧上がりまくりな訳なんです。




早起きして、お弁当作って6時。

まだ起きてこない・・・。




起きてこないので、起こしに行ったら

『電車で行く!』

と・・・・。




そこでブチ切れ

一言じゃ済まないほど

ガーーーっ!と吠えた。




最初から、電車で行けよ・・・全く。

昨日は、電車では行きたくないとか言ってたくせに。




コロコロ言ったことを変えるとこ

男に二言はないんじゃないの???

だから、モテないんだよ・・・。←心の声






先日、娘の教育相談があり先生とお話していました。

娘は、物静かで、家と学校では別人で。




その娘が、毎日の自主勉強のノートに

兄の悪口を、びっしり書いていたらしく。笑




先生も、驚いて笑い転げていました。

『○○さんに、こんな激しい一面があったんですね』

って。




よっぽど、溜まってたんでしょうね・・・兄への不満。

自主勉強にはなってないとは思いますけど

書かずにはいられなかったんでしょう。




ほんと、不憫で仕方ありません。

そして、ワタシも書かれないように気を付けます。







PCに向かう時間があるなら、準備だよねぇ。




今はただ、無事に行けること

会えることだけを祈って。




やること、しっかりやって。

神頼みして。




とりあえず、flumpoolのCDをお迎えに行ってきます。




どうか、皆さんも体調崩すことなく

元気で会えますように。

笑って、いっぱい笑って、お腹が痛くなるほど笑って

最後も、笑って終われますように。




きっと、そこにしかない

その場所にしかない

その時間だけにしかない




沢山の元気をもらって

充電を完了させて

また次のステップへ進めるように。




祈って、願って、待ちわびて。


とうとう12月になりましたね。




また一つ、年を重ねてしまいます。

あと1ヵ月もない4○歳。




今年は震災のことばかりで

重く辛く悲しくさびしく大変な1年になってしまったけど

最後ぐらい、いい思い出で締めくくりたいなぁ。












この前、娘と買い物に行った帰り道

信号でうちの車の前に停まっていた軽自動車




なんの変哲もない軽自動車

スモークを貼るわけでもなく

いじるわけでもなく

ノーマルな、ごくごく普通の。




何気に目に入ってきた

『E.YAZAWA』

の、ステッカー




YAZAWAが、好きなのか~

と思いながら、

ふと、ナンバープレートに目をやると




『46-49』




よん、ろく、よん、きゅう?




よん、ろく、よん、きゅう・・・・・・。




えーーーー!!!




よ・ろ・し・くーーーーーー?????




キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!




さすが、永ちゃんファン!!!




一人でめちゃめちゃテンションあがるワタシを

全く、『よろしく』の意味も分からず

白い目で見る、娘。




さらに、目をやると




『46-49』の前に、『や』の文字





『や』の、よん、ろく、よん、きゅう???




えーーーーーー!!!!!




ヤザワ、よ・ろ・し・くだよーーーーー???




またまた、キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!




と、益々興奮して、なぜか大爆笑。




何気に見かけたスペシャルな軽自動車のおかげで

一日、

ふふっ・・・:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

と、思い出し笑い。










こんなくだらない事で

テンション上がって

笑って普通に過ごせるようになったんだよね・・・。




震災後、仙台の街からも車が消えたことがあったなぁと

なんでもなかったように

行きかう車を見て、思い出していました。




ガソリンが買えなくて

徒歩や自転車がものすごく増えていたあの頃。




うちの近くにあるガソリンスタンド。

開店するのかもわからないのに

想像絶する列ができて

住宅街をぐるぐる巻きにして車が並んでいて。




そして、場所取りの為に

路上に放置する車もとても増え

すれ違うのが大変だったり

徒歩や自転車も、とにかく危険だった。




結局、あのガソリンスタンドは開店することは一度もなかったよ。

落ち着いた頃に、土を掘り起こして

大がかりな改修工事がされていたんだから。




一人並ぶと、つい並んでしまう。

それが確かな情報じゃなくても

誰かが並ぶと、つられて並んでしまうんだろう。




デマに惑わされて

振り回されたこともあった。




遠くへ行くときは、お友達にも声をかけ

乗り合わせて行ったり

ぶつぶつ交換したり




わらしべ長者のような時もあった。




それでも生きる為に知恵を絞り

助け合いながら、乗り越えてきたんだよね。




こんなに、車も当たり前に走るようになって・・・。




宝くじが当たった!とか

大きな喜びは、全くないけれど

それでも、確実に喜びは増えていて




今年ほど

小さな喜びを

幸せだと感じる年はないだろうと

とにかく思う。




きっとあの、よろしく車に乗ってる方も

そんな喜びがあの車にあるんじゃないかなぁ。




価値観って、人それぞれな訳だし

自分が楽しくて喜べることを

見つけられていることが大切だよね。










昨日、娘の参観日でした。

一緒に行ったママ友に

『来週、大宮行くんだ~』

って、行ったら友達は




『えーーーー!!!!!!!

お見合い?

○○ちゃんママ、お見合いするのーーーー???(  ゚ ▽ ゚ ;)』




・・・・・。苦笑




滑舌、悪いからなぁ・・・ワタシ・・・。




と思いながらも




『そうそう!

身の回り片づけて

丁寧に熨斗つけてお返ししようと思ってね』

なんて言ったら




『うっそーーーーーー!!!!』

と。




・・・。




(出来ることなら、とっくにやってるわっ!)

と心の中で叫びながらも

あまりにも鵜呑みにする彼女に説明しつつ誤解を解く。笑







1週間後ですね。

さいたま。




無事に会いたい。




今年最後

最後ぐらい

いい思い出作りたい。




少しでも楽しい気持ちで終わりたいな。




12/7に購入予定のCDが3枚。

重なる時って、重なるよね・・・。




どれから封を切るか

どれから聴くのか

すでに決まってはいます。笑




なんだかんだ言って

音楽に救われた1年でした。




暗闇の中に迷い込んで

抜け出せなかった時もあったけど




沢山のアーティスト

沢山の楽曲に

救われた1年でした。




人の心をよく知れた

大きな1年でした。




来年は、どんな1年になるだろう




なんて、考えません。




今より、下はない

そう思っていますから。




今年も、終わりなんですね・・・。









見えない明日よりも

今日を楽しもう。


今日は、母の命日です。




毎年、毎年思います。

月日の流れは本当に早いです。




31歳でこの世を去った母は

いつまでもその年のままで

ワタシは、とっくに追い越し




またいつか会えたら

その時は、ワタシの方がおばさんなんだよね。




子供たちの成長を

もう少し・・・

いや・・・まだまだ

ううん・・・ずっと

見守っていたいから




会えたとき

しわしわのおばあちゃんでいいから

長生きさせてほしいな。







↓母と2歳くらいのワタシ



しぃのブログ





昭和な感じがビシビシ




すっかり色褪せてしまって

古びてしまって




でも、継母にアルバムを何冊も燃やされてしまったワタシには

奇跡的に祖母が持っていたこの写真しかない。




たった1枚。

大事な、大事すぎる写真です。






この頃、父の仕事の関係で

東京に住んでいました。




この写真は、皇居です。




母の手作りで、お揃いのワンピース。

小さい頃から、あまり顔の変わらないワタシ




この時の記憶なんて

もちろん、全然ないけれど

大事な大事な思い出です。




まだ母を独り占めできていた

貴重な貴重な時間です。









普段から貧血持ちで

定期的に内科に通っていた母




あの日、夕方になっても

うちの居間に明かりが灯ることなく

真っ暗で

子供ながらに、おかしい・・・

と思いながら、帰ったことを覚えています。




居間に入ると

うなだれた母が、電気もつけずに

泣いていました。




明日から、入院。




まだ、この時

本当の病名なんて聞かされていません。

ただの貧血。

よくある話。

よく、そうやって隠される。

よく聞く話。




本当は余命3か月。




病室のドアに貼られた

『面会謝絶』の文字




名前の上の、赤い札




ただ事じゃないことは、

なんとなく、なんとなくわかっていました。




3か月と言われた母も

1年1ヵ月も生きた。




一度も、廊下に出ることもなく

あのドアを開けることすらできず

ただただ病室の中で戦い続けていたんだよね。




学校で、女の子だけ呼ばれて

生理の話を聞いた日。




ワタシは、生理がなんなのか

全く理解も出来ず

家に帰ってから父に

今日教えてもらったことを全て聞かせていました。




恥じらいもなく。




それを、じーっと黙って聞いてくれた父。

後から、とっても恥ずかしかったって聞いたとき

ワタシも、恥ずかしくなった。




次の日に、父は病院へ行って

その話を母に教えた。




そして父は、母の代わりに

病院の売店に行かされ

生理用品を買い揃えてくれた。




後で、聞いたことだけど

よく母は

『○○(ワタシ)が、とっても大人っぽくなって

こんな姿を見せている自分が恥ずかしい』

そう言っていたらしい。




ワタシは、いつだって子供だと思っていたし

母が、そんな目で見ていたなんて

全く気付くこともなかった。




でも、1人の女性として

成長を喜びつつも

複雑な心境だったんだなって思います。




何度も何度も

意識を失い

今晩が峠だって言われ呼び出される




朦朧とする中でも、ワタシの手を握り

『絶対、人のものにだけは手を付けちゃだめだよ』

そう、繰り返す。




呼吸が辛くなって、ハァハァしながらでも

何度も、何度も繰り返えした。




悪いことは悪い。

いっぱい伝えたいことはあったんだろうけど

それだけは、絶対にしちゃダメ!

それだけは、強く強くわかって欲しかったに違いない。







その昔

まだ私の住む田舎は

火葬よりも土葬が主で

地域では、うちが初めての火葬でした。




悪い病気だから、土の中から菌が出てきて

汚染されたら困る

みたいな言い方をされたのを覚えています。




父はもっと、ワタシの知らないところで

そうやって激しく言われていたんだろうね。




火葬場で、母とお別れして

泣き続けるワタシを

いとこのお姉ちゃんが、外に連れ出してくれました。




その時の、きれいな青空

そして、そこへ真っ直ぐ真っ直ぐ

上がっていく

煙突の煙




母が、空に向かって

どんどん離れて行く




ずーっと、その煙を見上げ

空を見上げ

静かに静かに見送りました。




あれから、もう32年か・・・。




妹が21歳になってすぐ子供を産んだので

もし母が生きていたら44歳でおばあちゃん。




ワタシももう、おばあちゃんでもおかしくはないんだね。




今のように

携帯やビデオが当たり前のようだったら

映像を残せたり、声を残せたり出来たのに。




もう長いこと、母の声を聞けていないから

忘れてしまいました。




今、生きていて

今のワタシを見たら

母は、なんて言ってくれるのかな

母は、どう思うのかな。




血は争えないと思うのは

母もまた

イケメン好きでミーハーだったこと。




元気なときは

明星や平凡なんかの雑誌が山積みだった。




大好きな芸能人のポスターが

天井に貼られていたっけ。笑




そのポスターも、次々入れ替わる。

今の自分を見ているようだよ。




よく映画にも連れて行かれた。

友達のように、東映まんがまつりに行きたかったのに

母の大好きだった、三浦友和と百恵ちゃんの映画ばかり




伊豆の踊子や、傷だらけのなんとかとか。

小学生には難しい。




でも、置いて行く訳でもなく

一緒に連れて行ってくれてたことは

後々感謝した。




一緒にいる時間

傍にいられる時間が

限られていたから




どんなことでも

一緒にいられたことは

やっぱりうれしかったよ。




自分が、よく子供を

コンサートだ!サッカーだ!バレーだ!

って、連れまわしていたので




そんなことを思い出しては

笑ってしまう。




親子なんだなって。




手先が、本当に器用で

裁縫も編み物も、料理も

とっても上手な人でした。




全然、そこは似ていません。

何もかも、教えてもらう前にお別れ。




残念です。




小料理屋をやりたい

そう、自分の夢を語っていたね。




まだまだ、やりたいことだらけ

心残りなことだらけだったんだろうな。




母が亡くなった年と同じ31歳に自分がなったとき

あの1年は、恐怖との戦いでした。




勝手に怯えていただけだけど

もしかしたら、自分も・・・。

そう思いながら、いた1年。




本田美奈子さんが亡くなった時も

言い知れぬ不安に襲われたり。

やっぱり怖いです。




どうか、大塚さん

元気になって。

心から、そう思います。







年に一度、お盆にお墓参に行くと

いつも声をかけてくれる

友達のお母さんがいます。




いつも気にかけてくれて。

本当にありがたくて。




母の友達でもあった、そのおばさんは

今でも母が教えたレシピで

本格的に出汁を取って

ラーメンを食べてるんだって

教えてくれます。




あのスープが一番おいしいから

外でラーメンなんて食べないって

家で食べるラーメンが一番おいしいって




きっと母も大喜び。

30年以上も、ずっと作り続けていてくれるなんてね。




もちろん、ワタシは知りません。

母の作るラーメンは食べていたけれど

作り方は全くわかりません。




いつか、いつの日か

そのレシピを教えてもらえたら・・・。

ちょっぴり難しい願いだけど

母の味を思い出せる

唯一の手段だから。




そんな機会があるとうれしいな。

だから、おばちゃんにも

元気でいてもらわなきゃ。







入院はしていたけど

母がまだいるうちに、ワタシは生理がきて

病室でお祝いしてもらえた。




お赤飯はなかったけど

きっと、母も安心してくれたに違いない。




それから、

初めてブラを買った時も

受験の時も

成人の時も

結婚の時も

出産の時も




当たり前だけど

ワタシのそばに母の姿はなくて




女の子として

特に母を強く想い、強く必要とする時に

いてくれないのが

さびしくて、悲しくて、

遺影を見つめて泣いてばかりだったけど




それでも確実に時間は過ぎて

そして、なるようになって

どうにかこうにか生きられてます。




11年と言う短い時間の中でワタシは

一生分の愛情を注いでもらい




そこから先はきっと、それを小出しにして

受け取りながら、包まれながら

今があるのだと、そう感じています。



母の妹

ワタシの叔母がよく言ってました。




『よく、道を間違えないで真っ直ぐ育ってくれたね』

って。




多少、ひねくれてはいるけれど・・・。

とりあえず、母に言われたこともちゃんと守ってる。

常識だけどね。笑


遠い、北の大地で

ずっと心配してくれてたんだと思うと

ありがたいです。



縁あって、北海道の大学に通う姪。

そして、またこれも縁なのか

夏に、姪にとっては祖母の生まれ故郷

稚内に研修で出かけた時に

送ってくれた写真です。





しぃのブログ






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母が育った地。

冬になると、物凄い雪で

2階から出入りしてたことは

はっきり覚えてる。




姪がいるうちに

一度、行ってみたい。




あ~お母ちゃんに、会いたい。

でもまだ、そっちに行きたくもないし

行くつもりもない。笑




また今までと変わらず

ずっと見守っていてください。




今日は、母を想いながら

一日過ごします。




産んでくれてありがとう。




自分の母子手帳に

『仮死産』という文字を見つけた時




母が、どんな想いで産んでくれたのか

どんな大変な出産だったのか

知りました。




生きていれたから

大切な人たちに巡り合えて

大変な中にも

幸せだなって思える時間を過ごせています。




今日も明日も明後日も

ずーっと変わることなく

ありがとう。