今日は、母の命日です。




毎年、毎年思います。

月日の流れは本当に早いです。




31歳でこの世を去った母は

いつまでもその年のままで

ワタシは、とっくに追い越し




またいつか会えたら

その時は、ワタシの方がおばさんなんだよね。




子供たちの成長を

もう少し・・・

いや・・・まだまだ

ううん・・・ずっと

見守っていたいから




会えたとき

しわしわのおばあちゃんでいいから

長生きさせてほしいな。







↓母と2歳くらいのワタシ



しぃのブログ





昭和な感じがビシビシ




すっかり色褪せてしまって

古びてしまって




でも、継母にアルバムを何冊も燃やされてしまったワタシには

奇跡的に祖母が持っていたこの写真しかない。




たった1枚。

大事な、大事すぎる写真です。






この頃、父の仕事の関係で

東京に住んでいました。




この写真は、皇居です。




母の手作りで、お揃いのワンピース。

小さい頃から、あまり顔の変わらないワタシ




この時の記憶なんて

もちろん、全然ないけれど

大事な大事な思い出です。




まだ母を独り占めできていた

貴重な貴重な時間です。









普段から貧血持ちで

定期的に内科に通っていた母




あの日、夕方になっても

うちの居間に明かりが灯ることなく

真っ暗で

子供ながらに、おかしい・・・

と思いながら、帰ったことを覚えています。




居間に入ると

うなだれた母が、電気もつけずに

泣いていました。




明日から、入院。




まだ、この時

本当の病名なんて聞かされていません。

ただの貧血。

よくある話。

よく、そうやって隠される。

よく聞く話。




本当は余命3か月。




病室のドアに貼られた

『面会謝絶』の文字




名前の上の、赤い札




ただ事じゃないことは、

なんとなく、なんとなくわかっていました。




3か月と言われた母も

1年1ヵ月も生きた。




一度も、廊下に出ることもなく

あのドアを開けることすらできず

ただただ病室の中で戦い続けていたんだよね。




学校で、女の子だけ呼ばれて

生理の話を聞いた日。




ワタシは、生理がなんなのか

全く理解も出来ず

家に帰ってから父に

今日教えてもらったことを全て聞かせていました。




恥じらいもなく。




それを、じーっと黙って聞いてくれた父。

後から、とっても恥ずかしかったって聞いたとき

ワタシも、恥ずかしくなった。




次の日に、父は病院へ行って

その話を母に教えた。




そして父は、母の代わりに

病院の売店に行かされ

生理用品を買い揃えてくれた。




後で、聞いたことだけど

よく母は

『○○(ワタシ)が、とっても大人っぽくなって

こんな姿を見せている自分が恥ずかしい』

そう言っていたらしい。




ワタシは、いつだって子供だと思っていたし

母が、そんな目で見ていたなんて

全く気付くこともなかった。




でも、1人の女性として

成長を喜びつつも

複雑な心境だったんだなって思います。




何度も何度も

意識を失い

今晩が峠だって言われ呼び出される




朦朧とする中でも、ワタシの手を握り

『絶対、人のものにだけは手を付けちゃだめだよ』

そう、繰り返す。




呼吸が辛くなって、ハァハァしながらでも

何度も、何度も繰り返えした。




悪いことは悪い。

いっぱい伝えたいことはあったんだろうけど

それだけは、絶対にしちゃダメ!

それだけは、強く強くわかって欲しかったに違いない。







その昔

まだ私の住む田舎は

火葬よりも土葬が主で

地域では、うちが初めての火葬でした。




悪い病気だから、土の中から菌が出てきて

汚染されたら困る

みたいな言い方をされたのを覚えています。




父はもっと、ワタシの知らないところで

そうやって激しく言われていたんだろうね。




火葬場で、母とお別れして

泣き続けるワタシを

いとこのお姉ちゃんが、外に連れ出してくれました。




その時の、きれいな青空

そして、そこへ真っ直ぐ真っ直ぐ

上がっていく

煙突の煙




母が、空に向かって

どんどん離れて行く




ずーっと、その煙を見上げ

空を見上げ

静かに静かに見送りました。




あれから、もう32年か・・・。




妹が21歳になってすぐ子供を産んだので

もし母が生きていたら44歳でおばあちゃん。




ワタシももう、おばあちゃんでもおかしくはないんだね。




今のように

携帯やビデオが当たり前のようだったら

映像を残せたり、声を残せたり出来たのに。




もう長いこと、母の声を聞けていないから

忘れてしまいました。




今、生きていて

今のワタシを見たら

母は、なんて言ってくれるのかな

母は、どう思うのかな。




血は争えないと思うのは

母もまた

イケメン好きでミーハーだったこと。




元気なときは

明星や平凡なんかの雑誌が山積みだった。




大好きな芸能人のポスターが

天井に貼られていたっけ。笑




そのポスターも、次々入れ替わる。

今の自分を見ているようだよ。




よく映画にも連れて行かれた。

友達のように、東映まんがまつりに行きたかったのに

母の大好きだった、三浦友和と百恵ちゃんの映画ばかり




伊豆の踊子や、傷だらけのなんとかとか。

小学生には難しい。




でも、置いて行く訳でもなく

一緒に連れて行ってくれてたことは

後々感謝した。




一緒にいる時間

傍にいられる時間が

限られていたから




どんなことでも

一緒にいられたことは

やっぱりうれしかったよ。




自分が、よく子供を

コンサートだ!サッカーだ!バレーだ!

って、連れまわしていたので




そんなことを思い出しては

笑ってしまう。




親子なんだなって。




手先が、本当に器用で

裁縫も編み物も、料理も

とっても上手な人でした。




全然、そこは似ていません。

何もかも、教えてもらう前にお別れ。




残念です。




小料理屋をやりたい

そう、自分の夢を語っていたね。




まだまだ、やりたいことだらけ

心残りなことだらけだったんだろうな。




母が亡くなった年と同じ31歳に自分がなったとき

あの1年は、恐怖との戦いでした。




勝手に怯えていただけだけど

もしかしたら、自分も・・・。

そう思いながら、いた1年。




本田美奈子さんが亡くなった時も

言い知れぬ不安に襲われたり。

やっぱり怖いです。




どうか、大塚さん

元気になって。

心から、そう思います。







年に一度、お盆にお墓参に行くと

いつも声をかけてくれる

友達のお母さんがいます。




いつも気にかけてくれて。

本当にありがたくて。




母の友達でもあった、そのおばさんは

今でも母が教えたレシピで

本格的に出汁を取って

ラーメンを食べてるんだって

教えてくれます。




あのスープが一番おいしいから

外でラーメンなんて食べないって

家で食べるラーメンが一番おいしいって




きっと母も大喜び。

30年以上も、ずっと作り続けていてくれるなんてね。




もちろん、ワタシは知りません。

母の作るラーメンは食べていたけれど

作り方は全くわかりません。




いつか、いつの日か

そのレシピを教えてもらえたら・・・。

ちょっぴり難しい願いだけど

母の味を思い出せる

唯一の手段だから。




そんな機会があるとうれしいな。

だから、おばちゃんにも

元気でいてもらわなきゃ。







入院はしていたけど

母がまだいるうちに、ワタシは生理がきて

病室でお祝いしてもらえた。




お赤飯はなかったけど

きっと、母も安心してくれたに違いない。




それから、

初めてブラを買った時も

受験の時も

成人の時も

結婚の時も

出産の時も




当たり前だけど

ワタシのそばに母の姿はなくて




女の子として

特に母を強く想い、強く必要とする時に

いてくれないのが

さびしくて、悲しくて、

遺影を見つめて泣いてばかりだったけど




それでも確実に時間は過ぎて

そして、なるようになって

どうにかこうにか生きられてます。




11年と言う短い時間の中でワタシは

一生分の愛情を注いでもらい




そこから先はきっと、それを小出しにして

受け取りながら、包まれながら

今があるのだと、そう感じています。



母の妹

ワタシの叔母がよく言ってました。




『よく、道を間違えないで真っ直ぐ育ってくれたね』

って。




多少、ひねくれてはいるけれど・・・。

とりあえず、母に言われたこともちゃんと守ってる。

常識だけどね。笑


遠い、北の大地で

ずっと心配してくれてたんだと思うと

ありがたいです。



縁あって、北海道の大学に通う姪。

そして、またこれも縁なのか

夏に、姪にとっては祖母の生まれ故郷

稚内に研修で出かけた時に

送ってくれた写真です。





しぃのブログ






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母が育った地。

冬になると、物凄い雪で

2階から出入りしてたことは

はっきり覚えてる。




姪がいるうちに

一度、行ってみたい。




あ~お母ちゃんに、会いたい。

でもまだ、そっちに行きたくもないし

行くつもりもない。笑




また今までと変わらず

ずっと見守っていてください。




今日は、母を想いながら

一日過ごします。




産んでくれてありがとう。




自分の母子手帳に

『仮死産』という文字を見つけた時




母が、どんな想いで産んでくれたのか

どんな大変な出産だったのか

知りました。




生きていれたから

大切な人たちに巡り合えて

大変な中にも

幸せだなって思える時間を過ごせています。




今日も明日も明後日も

ずーっと変わることなく

ありがとう。