今日は娘の13回目の誕生日です。



ワタシは、両親も祖母も、妹2人も

みんな冬生まれで

旦那も、息子も冬。

だから、初めての夏女です。



毎年書いてる気はしますが

ほんとに病気ばかりで

楽しい、可愛い思い出や

エピソードもないような気がして

ずっと来ました。



とにかく、悲惨なものでした。

唯一、痩せてた時期でしょうね。

やつれてたと言うんでしょうけど。



13年前の今日

ワタシは、たった一人でベッドの上にいました。



前日の夜に破水して病院へ来たものの

微弱陣痛で。

どんどん、お水は出てくるのに

浣腸までして、剃毛までして待ってるのに

微弱のままで。



おむつして、病院の階段を5階まで

上り下りさせられていました。

進むように。



後から、待機室にくる妊婦さんが

どんどん分娩室に移動する中

ワタシは結局18時間、そこに居続け主に。




初産婦さんが痛みに耐えられず

大声を出してる横で

冷静なワタシ。

2人目は、肝も座ってます。



息子の時、

立ち合い出産をするはずだった旦那が

分娩待機室で真っ青になり倒れ掛かり←

こいつとは、二度と無理!

と、ずっと思っていたので



待機室にいる間はもちろん

過呼吸になり、ビニール袋持たされて

呼吸してる時も

分娩室に移り、さてこれから

って、時も



ご主人に連絡取りますか?

って看護士さんの問いかけに

産んでからでいいです。

って答え一人で産みました。



弱いパートナーだと

強くなるしかないんです。ほんと。



37週で3300超えの娘は

それからも常に大きいまま育ち

いつも一番後ろ。



大きいから、同い年の子の中でも

お姉さん役が多くて

宥めたり、面倒見たり



先生は、助かるんだよって

よく言ってたけど

本人は、もっとみんなと同じ扱いが

してほしかったって言ってます。



大きくてぽっちゃりだったので

なかなか抱っこもしてもらえなかった年少時代。

大好きなキャラクターの上履き履きたいのに

足が大きすぎて、その夢も叶わず。



大きい子なりの悩みです。



中学に入学時は160センチ。

今は、164センチ。

すでに4センチ伸びて足も25センチ。



母娘で洋服や靴、共有できる日を

待ち望んでいたのに

それすらも出来ないまま

追い越され

取り残され

見捨てられ。←



反対咬合が可愛そうで

矯正した歯も

成長が止まらず、下顎も一緒に成長し

よくなったのに、元に戻りつつあり

2期治療‼2期治療!と

医者にはけしかけられ踏んだり蹴ったり。

●十万、どぶ川です・・・。



女の子特有のあれこれや

体の事や

これからも悩みは尽きそうにないけど



あんなに苦しかった小さい頃の事が

最近ちょっと想いが変わってきて。

自分でも不思議な気持ちです。



子育てって、やっぱり一人じゃ出来なくて

家族はもちろんだけど

お友達や地域の人。

ほんと、そうやってみんなに育ててもらった

って、感謝の想いがとっても強くなりました。




一番大変で苦しかったとき

助けてくれたのは

やっぱりそこに住むお友達で地域の人だったなって。



息子の幼稚園の送迎や

晩御飯を作って来てくれたり

遊びに連れてってくれたり

抱っこして、おんぶして

お世話をしてくれたり



みんなに面倒見てもらって今があります。



娘は生後1週間から

黄疸が強くなり、ある病院を紹介されました。

そこは、国立病院で新生児集中治療室も完備していて

名医と言われる先生がいて。



胆道閉鎖症を疑われて

来る日も来る日も小さな足から血液を抜かれて検査して。

でも、結局は母乳性の黄疸ということで

大事には至りませんでいた。



そこから、その病院が移転する何年間か

その先生にほんとにお世話になり続け

時には、深夜、時には休日

とにかく通いました。



1ヶ月半でぜんそく様気管支炎で入院した時

家でお留守番の4歳の息子の事も考え

精神的にも、とてもきつくて泣きたくて。

不安定でした。



病棟は小児科も外科も区切られておらず

みんな、ごっちゃまぜだったのが

余計にきつい。



夜泣きも酷かったし

咳込んで眠れないとぐずるし

寝静まった病棟に娘の声が響くのが

ほんとうに耐えられなくて。



とりあえず抱っこして母乳を与えよう

そうしたら、少しは・・・

そうやって、異常に気を遣って

睡眠を取ることも出来ず



そしたら、当直の看護士さんに

母乳は最低2時間おきって決めて!

それ以上、与えないで!

お母さんが甘やかすから、どんどん欲しがって

泣けばいつでももらえると思うのよ!

って、注意され。



深夜の真っ暗な病室で

立って娘を抱っこしてゆらゆらしながら

泣きました。




どうしていいのか

ほんとに、わからなくて。



迷惑もかけたくない

でも、母乳も与えず泣き続けさせるのにも耐えられない。



声を押し殺して泣きました。



そしたら、もう一人の年配の看護士さんが

そーっと病室を覗いて来てくれて



お母さん、迷惑かけられない

なんて思わなくていいのよ。

ちゃんと私たちがフォローするから。

子供は泣いて当たり前なの。

私が抱っこして見ててあげるから

珈琲でも飲んで休憩していらっしゃい。

って。



言葉にならなかったけど

泣きながら会釈をして

娘をお願いして

一人、病院の待合室に行って 

珈琲を飲みました。



泣きながら

ぼろぼろ泣きながら

甘いはずの珈琲が

涙でしょっぱくなるくらい。



どれだけそこで一人でぼーっとしてたか

わかりません。

戻った時には娘はベッドの上ですやすや。



看護士さんは

もういいの?

ゆっくり、休めた?

って言ってくれて

また、その言葉が嬉しかった。



ワタシの不安な気持ちや

イライラしたり不安定な想いが

娘にも伝わって余計に激しく泣いていたのかもしれません。



でも、そこで

休憩をもらえたことは

とても大きなことでした。



一人じゃ生きられない

生きて行けない

生きてるって思っちゃいけない

よね。



嫌な人もいっぱいいる。

心無い人もいる。

でも、ほんとにいい人も

いっぱいいっぱいいる。



そんな人たちに

人生を歩んで行く中で出逢えて

ワタシの辛かった記憶が

嬉しかった明るい記憶に

差し替えられていく。




なんか、素晴らしい。



と、自分で想う。



恒例だったキャラケーキも

中学生は廃止の制度なので←

作らずにいたけれど

楽しみにしててくれたお友達がいて

今は、本当に後悔しています。



ワタシの誕生日でもいい?←私信w



こんな記憶、記録、思い出の残し方も

あったんだ!

って、お友達に言われて

今さらながら気付く。

でも、後の祭り。



来年は頑張ります。w



18時間の格闘の末

生まれてきてくれた娘を

これからも、ビシビシと鍛えながら

例え、上から見下したように見られても

背伸びして、顔を突き上げて

気持ちは絶対負けない!引かない!の精神で

見守って行こうと思います。



あと、どのくらい

一緒にいられるか、わかんないもの。



一日一日、本気でぶつかりながら

同じ時間を過ごせることに感謝して

ここまで、一緒に育ててくれた友達や

地域の人にも、そう。




元気に育ってください。

それだけです。