長いこと、放置したまま
息子のことでも沢山の方にご心配いただいて
いっぱいいっぱい励ましてもらったのに
とんずらで・・・すみません。
何度も、打とうとしたのですが
なかなか思うように書けず表現できずに
消してばかりで。
11日だけでも・・・と思ったけど
それすらもできなくて
情けない限りです。
息子は元気にしています。
今頃は、大阪城見学して
そろそろ大阪駅に向かう頃かな。
修学旅行で、今日帰省予定です。
新人戦も無事に戦い
大好きなmiwaのライブで
初遠征し、初ライブハウスを体験し
公言通り?bridgeにもmiwaと一緒に載り(苦笑)
通院しながらも
何ひとつ欠けることなく
今まで通り
当たり前のように
過ごせていて
充実した毎日ではないかと思っています。
しこりは、大きくもなってませんが
小さくもなってません。
経過観察とは100%の安心を手に入れた訳ではないので
不安じゃないといえば、嘘になります。
でも、いっぱい励ましてもらった中で
自分も病と戦ってる人
うまく付き合ってる人
爆弾を抱えてる人
たくさんいて
それぞれ抱えながらも
それを感じさせずに
元気で笑顔で生活しているお友達を見て
とっても勇気をもらいました。
不安がすべてなくなることはないけど
うまく、うまく付き合って
今を大事にしていかなきゃいけないなと思います。
私はといえば
なかなか体調もぱっとせず
次々舞い込む問題に
心が追いついていかなくて
しんどい毎日です。
自分のせいだと思ったのか
息子が気持ち悪いくらいに気が利いたり
優しくなったり
悪いことばかりではなかったんですけどね。
まぁ、優しいといっても
荷物をさっと取って持ってくれるとか
お菓子を分けてくれるとか?←子供か
そんな程度で
大袈裟なものでは決してないけど
うちでは、大きなことです。
でも、
何を考え
何を思いいるのか
少しでも
命を意識したから
死を考えたから
息子なりの人生観が変わりつつあるのも
わかってきました。
友達のこと
学校のこと
将来のこと
今まで、モノクロで
うっすらしか見えてなかったのが
少しだけカラーになって
見えやすくなったようにも思えます。
女の影だけは、真っ黒で全く見えませんが・・・。
でも、元気にしています。
ほんとに、ご心配していただいてありがとう。
今月、28日で母が亡くなり三十三年経ち
とうとう最後の供養になりました。
最後に、ちゃんと法要をして欲しかったのですが
勝手な叔父の考えに口を出すこともできず
唇を噛み締めるばかりです。
叔父の奥さんは
ワタシや妹がお墓参りや
仏壇に手を合わせに行くことすらも
嫌な顔をするようになりイヤミを言い
腹立たしくて仕方ないけど
両親や妹に祖父母は
そこで眠っているので
人質をとられているような感じで
されるがまま。
ワタシがまだいる頃は
父が元気でいる頃は
親戚一同集まって
朝から晩まで
一緒にご飯を食べお酒を飲み
ワイワイ楽しく出来ていたのに
今は、お茶をいただいて
30分も滞在できずに退散。
お盆もお正月も命日も
毎回、寂しく帰路に着きます。
でも、やめるわけにはいかないので
手を合わせることだけは
生きてる間は、やめちゃいけないので
どう思われようと行くつもりではいます。
法要はしてもらえないけど
自分の中では、ちゃんとけじめをつけたいので
嫌な顔されるのはわかってるけど
行ってきます。
大好きだったお花と
大好きだったシュークリームを持って。
今までと何も変わらないはずなのに
最後だと思うと、
もっと遠くに行ってしまいそうで
なんだか、寂しいです。
でも、お友達に
『最後まで供養してあげられたことは
それはそれで親孝行じゃない?』
って、言われて
『あ・・・そうかも』
って、思ったら
心が、ちょっぴりすっとしました。
『ツナグ』
が、ほんとうにいたら
ワタシは、迷わず母に会いたいって言うんだろうな。
母が願ったような娘になれてるのかな?
叱って欲しいし
褒めても欲しい
もう33年も会ってないんだから
話してないんだから
やっぱり、会いたいです。
ツナグ
観たかったけど
今の精神状態じゃ
大声出して泣いてしまいそうなのでやめました。
北のカナリアも
母の生まれ育った島を観てみたい
って、思ったけど
もう少し元気になったら
レンタルされてから・・・そう思ってます。
ワタシなりに
最後の供養をしっかりしてきます。
この間、たまたま見ていたミヤネ屋で
ニュージーランドの救助隊と
南三陸町の人たちとの絆を放送していました。
自分のことでいっぱいいっぱいで
ここ何ヶ月かちゃんと震災のことに
向き合えてなくて
だけど、その放送は
とっても心に入ってきて
ぼろぼろ涙を流して泣きました。
ふと、あれ?って気付いたんだよね
BGMが、『to U』だったって。
反則だ・・・あの曲。
東日本大震災の3週間前に
ニュージーランドでも大きな地震があって
日本人の死者も出て。
でも、そんな時でも
すぐに東北に駆けつけてくれたレスキュー隊。
自分たちも助けてもらったから
よく聞く言葉だけど
今、自分たちも被災者なのに
それでも、駆けつけてくれたことが
言葉で言えないくらい嬉しくって。
助けてもらったから、助けてあげたい。
その、気持ち
そこにいないワタシでも胸が熱くなるのに。
娘が言いました。
『先生、おかしいんだよ
今日、めちゃめちゃ腹立ったんだから』
って。
感謝とか、絆とか
意味わからないよな
感謝って、誰にするんだよ
俺は何もしてもらってないのに
テレビでも新聞でも
感謝、感謝、絆、絆って
わけわかんないよな?
そう思わないか?
そう、子供に言った担任。
びっくりを通り越して怒りを覚えます。
寂しい人間だなった思います。
かわいそうな人間だなって
つくづく思います。
でも、一瞬
そんな馬鹿な先生の発言に驚いた子供たちも
いっぱい食料や物資を送ってもらって
助けてもらった話を先生に話したそうです。
娘もその一人です。
その節は、ほんとうにありがとう。
学校にも、全員分の
ジュースや図書カードなど
ほかの県の方々から何度も届けてもらっています。
それすらも、忘れてるのかな。
何もしてもらってないなんて
なんで思えるのかな。
沿岸とこことの被害の大きさの違い
わからないのかな。
誰も見返りを期待して
募金したり、物資を提供したりしてないはず
ただ、助けてあげたい
力になりたい
何かしてあげたい
その思いだけなんじゃないのかな。
助けてやったんだから、助けろよ
じゃなくて
助けてもらったから、助けなきゃ
だよね。
自分が直接何かをしてもらってなくても
東北を、被害の酷かったところを
助けてくれてるなら
それで、いいのに。
それだけで、十分だし
そんな、ありがたいことないのに。
あんな教育者に娘を託してるのかと思ったら
ほんとに怒り以外の何もない
見本、手本を示さなきゃいけない大人が・・・全く。
最初から期待はしてなかったから
あとは、早く卒業して決別したい。
親も子も思いは同じです。
長くなりすぎました・・・。
でも、最後にもう一つお礼をm(__)m
人生で初めて
自分の好きなことをして
思うことをして
好きなように誕生日を過ごせることになりました。
協力してくれたお友達
チケットを取ってくれたお友達
仕切って、あれこれお世話してくれたお友達
ほんとうにありがとう。
夢のようです。
母の命日は
悲しくて、寂しくて
辛くなってしまいそうだったけど
この日にアルバムも発売されるし
早く体調戻して
夢のような時間を
大好きな音楽を聴いて
大好きな人達と過ごして
最高の一日にしたいな。
ほんとに、ほんとに
あれもこれも
何から何までありがとう。
マメじゃないから
なかなかメールもしないし
ブログ読んでもコメも残さず
読み逃げの毎日だけど
久しぶりにメールしたお友達に
『ご無沙汰』って書いたら
ワタシのこと
いつも、自分のどこかにあるから
ご無沙汰してる気がしないんだよね
って、お返事くれて。
めちゃめちゃ嬉しかった。
ワタシも、そうありたいって思った。
先生、あんた間違ってるよ!
って、呼びつけて
正座させて、説教してやりたい!
今日も、たくさんの人に感謝して
沢山のことに感謝して
子供たちにも言い続けて
感謝の気持ちは忘れちゃいけないよって
ずっと言い続けて
いくらお金持ちじゃなくても
心だけでも貧しくならないように
豊かであるように。
いっぱい、いっぱい、ありがと。