4時に起きてお弁当を作り

試合に行く息子を送り出しました。



毎日の事なのに

ギリギリにならないと

スピードが出ない息子



行く間際のドタバタは毎度の事

今日も元気です



お父ちゃん、ありがとう。





今日は父の命日です。



『ちゃんと拝んでから行きなさいよっ!』

と時間がないのに言われたから

またドタバタしていたけど



息子もしっかり手を合わせてから行きました。



日々、色んな事はあるけれど

大きな病気もせずに

やっぱり元気でいられるのは

見守ってくれている両親や妹、祖父母のおかげ



そして粗食を作る私のおかげ( ̄∀ ̄)

では、ないね(笑)



とにかく、感謝する毎日です。





あの地震から半年が経ち

また考えさせられる事

思い直される事

多々あって



この、なんてことのない

在り来たりな毎日が

とっても有難く幸せなことを

再認識しています。



息子の受験も

世間一般では失敗



私も、そう思っていました。



でも、遠回りしたつもりが

実は一番の近道だったのかも



今はそう思っています。



行くべきして進んだ道なのでは?

そう思えたりします。



勉強する姿は、残念ながらほんとに見ません・・・。

でもあのイキイキした顔を見ると

高校生活が充実していることがよくわかります。



『めちゃくちゃ楽しいーーー!!』

そんな言葉を聞けたら

学校に納めるものがハンパなくても・・・

行かせて良かったなって思えてしまう。



楽しい!ばかりじゃ

どうにもならないこともわかってる



でも楽しくなければ

どうにもならないこともある



休みの日ほど、朝が早くて

私のお弁当作りも休みなしで

正直、きついけど



何かに真剣に打ち込むのは悪い事ではないし

好きなことを一生懸命してるのは止められないし



家には寝に帰ってくるような生活で

友達とも会えない、遊べない日々だけど



それでもあの子は今

とっても充実していて

高校生活を楽しんでるのだと思うから



そっと見守るだけです

(野放しではありません。笑)



きっと、父もそんな息子を

空から嬉しそうに見ていてくれてるのだと思います。









父の作った踏み台


しぃのブログ




薄汚れて傷だらけです。

でも

それでも

私の大事な宝物です。



息子のトイレトレーニングの為に

約15年前に父に作ってもらった踏み台です。



踏み台なんて

どこでも売ってるし

ましてトイレトレーニング用なんて

プラスチックの可愛いものもあるのに



どうして父にお願いしたのかは

思い出せません。



でも、ほんとに大事に大事に今も使っています。



釘は使われてません。

すべて木です。

角も丸く優しく削られています。

見えないけど、可愛く削られた飾りもあります。



ただの台

の、つもりで頼んだのに

届いたものは

こんなに手の込んだもので

感動したのを今でも覚えています。



この踏み台に登り

便座に座ってトレーニングした息子



娘も同様です。



子供達への役目を終えた踏み台は

きれいに掃除されて

今も私の為に働いてくれています。



高い所の物を取る為の踏み台として

時には、椅子として。



ずっと家族を傍で見守ってくれている

大切な宝物です。






娘に、父との思い出を聞くと

『紙ひこうき』

と必ず答えます。



父が亡くなる10日前

たまたま、いとこの結婚式があり

私は子供を連れて里帰りをしていました。



この結婚式が父の姿を見た最後



でもこの結婚式がなければ

お正月まで会いに行く予定もなかったのだから

会えていて良かったです。



息子が、

『今度学校で、紙ひこうき飛ばし大会があるんだぁ』

と父に話しました



そしたら父は

『1位、とらせてやるからなっ!』

と張り切って、紙ひこうきを作り始めました



折っては飛ばし

手直しして、また飛ばし



その場にいた、叔父や叔母

私のいとこまでが折り始め



子供のことなのに、大人が必死で

でもそれがまた、童心に返って楽しくて

強烈に残っています。



息子は1位をとる事は出来ませんでした。



でも私は、大切な何かを教えてもらったような気がして

ほんとに嬉しかったです。



贅沢の中で生きている今の子供達

おもちゃも豊富で

高額なゲーム機やソフトも当たり前のように持っていて

お年玉もまた高額なもので



私が子供の頃は、そんなものなんてないし

自分達で遊びを考え

暗くなるまで外で走り回り



親が作ってくれたおもちゃをみて

自分でも作ってみたり



水鉄砲や紙鉄砲、凧

周りには手作りのものが溢れていたように思えます。



だからこそ余計に

新聞紙やチラシ、カレンダーで作る紙ひこうきは

逆に新鮮で

一緒に作る楽しさも教えてくれて

楽しい思い出として

ずっと心の中に生きてるのだと思います。



お金じゃ買えない大切なもの



地震の後

電気が使えなかったり

蛇口をひねっても水が出なかったり

階段を上り下りしたり



便利さに慣れてしまって

それが当たり前の毎日で



こんなに大変なものなのかと

痛感しました。



頭を使うとか

知恵を絞るとか

無縁の生活だった気がします。



節約って、ケチではないんですもんね。



電灯の明かりが、とても温かい事も

月が、とってもとってもきれいなことも

コップ一杯のお水が、とても美味しい事も



無駄を省いて生活する事は

苦痛なことじゃなくて

自分の為に必ずなることも



忘れずにいないと

感謝しないと





私は決してファザコンではありません。笑

でも頼れるはずの2人が、1人になったら

もう1人におんぶに抱っこ

身を委ねるしかないじゃないですか・・・子供だもの



両親との思い出なんて

今は数え切れる位しか覚えてません。



でも父が1人になってからの事は

よく覚えています。

ずっと背中を見て育ってきたつもりです。



産んでくれた母には、もちろん感謝

でもずっと1人で育ててくれた父には、もっと感謝



事故にあったあの日、

父に用事があった私がなぜ、電話をしなかったのか

今でも後悔しています。



電話をして、お願いをしていたら

出発する時間がずれていたんじゃないか

違う道を通っていたんじゃないか



事故にあう運命は決まっていたとしても

もしかしたら命を落すようなことにはならなかったんじゃないか

救えていたんじゃないか・・・。



今更、思っても仕方ない事だけど

もし救えてた命なら・・・そう思うと

なんで

どうして

ばかりが、まだ頭の中をぐるぐるします。



津波で、大切な人を亡くしてしまった人の中にも

こんな想いでいる人が沢山いるのでしょう。





父のことだから

くだらない冗談を言いながら

笑って、ひょっこり帰ってくるような気がずっとしていました。



でもきっと父は今、遠い空で楽しく

さむいおやじギャグを連発し

大口開けて笑ってることだと思います。



もうどうにも出来なくて

人の恐さを知って、汚さを知って

辛くて、苦しかった時

『助けてよ・・・』と

遺影に向かって号泣した日の夜



『大丈夫だ。頑張れ』

そう言って

私の手をがっちり握り

夢に出て来てくれた事がありました。



今はもう、そんな夢を見ることはなくなったけど

あの時と変わらずきっと今も

私の一番の応援団だと思っています。



7年の月日が流れ

年少さんだった娘も5年生

小学3年生だった息子も高1



火葬場で最後のお別れのとき

一番号泣したのは娘



『どこかにいっちゃうよ

いなくなっちゃう』

そう言いながら

狂ったように泣きました



本人は覚えてないみたいです。



でも

命の尊さだとか、大切さだとか



生きていく為の

有難さだとか

温かさだとか



教科書の中でも、その辺に落ちているわけでも

お店で売ってるわけでもなくて



こうやって

身をもって経験したり

親である私達が

しっかり見せていかなければいけないものなんだなぁ

と、心から思います。



便利で不自由のない毎日を過ごしていると

見落としがちな事

気付けない事

いっぱいあるような気がします。



ほんとうに大切なものは何か



今回の震災もあり

考える時間をもらえたことは

私にとって必要だったことでした。



初心にかえる



自分の先に立ってくれる

人生の道しるべは、いません。



まだまだこれからも迷い道に入り込むかもしれません。

でも息子を見ていて思います。



遠回りも悪くない

こっちの道も、ありだったなぁ

って



大丈夫!

がんばる。





あの日のことを思い出したら

鮮明すぎて、苦しくなるけれど

いっぱいいっぱい思い出して

いっぱいいっぱい話します。



感謝の気持ちもいっぱいある

ありがとう。



紙ひこうき

久しぶりに折ってみるよ

踏み台に腰掛けて。